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三日前、湯たんぽで低温やけどをした。ピアスも膿みはじめ、左目のひっかき傷も晴れてきた。体中皮膚炎を起こしている。免疫力が低下しているのだ。そんなわたしには強い味方がいる。デモゾール君だ。彼は半年前に産婦人科で処方された。ひとみしりが災いし知らない病院にいけないわたしは、「ピアスが膿んで困る」とあろうことか産婦人科の門をたたいた。先生は「ではでは」とカルテに膀胱炎と書いてデモゾールと抗生物質をだしてくれた。膀胱炎のお薬デモゾールは膿んだピアスにもかき壊した虫刺されにも水膨れにもよく効いて、なんだか怪しい。でも表皮の傷にぬりぐすりを塗っていると、自分の体を愛しく思う。手を掛けなければいけない子供のように思う。三日目の今日、水ぶくれは平らになった。
『Bank of The Dead』を観た。例にもれず開始30分、ゾンビは出てこない。なんだかB級を通り越してアダルトアイドルビデオのストーリー部分みたいな映像だった。
無駄なことをいっぱいしよう。買うより高いけれど餃子を手作り、ペン回しの練習をしてラジオを分解しては戻して、一本の毛糸で蝶結びを100個作り休日にはゾンビ映画を6本見よう。
就活という言葉もチラつきはじめた最近、『有意義に時間をつかってください』と言われる機会が多い。有意義とはなんぞと考える。小学生のころ、無駄なことなんてひとつもないと思っていた。今していることは、将来どこかでぼんやりと『あ、いまこれが活きてる』と思うんじゃないかしらと。だから、無駄なことなんてひとつもないと思っていた。そうでもないということが、わかりはじめた。餃子はやっぱり買った方が美味しくてラジオ屋さんになるわけもなく、蝶結びは両端からひっぱって一気にほどきたいし、本物のゾンビにはたぶん一生会わない。だからどうした。それでも無駄をやめられない。あとからついてくる意義はつまり、いまはいらない意義なんだ。いつかこれが役に立つとか、いつか王子様がくるとか、再来年には就活だとか、考えない時間が必要だ。もう、宵越しの銭も宵越しの期待もいらない。春になったらキックボードで町内一周してスタバでフラペチーノを飲んで下痢をしたい。
『ザ・ホード 死霊の大群』を観た。開始30分を過ぎてもまだまだ出てこないゾンビ。やっとゾンビが出てきたと思いきや、ゾンビそっちのけで行われるマフィアの抗争とマフィアより怖い警察官。仲良く戦えよ。邦題で死霊の大群をうたっているだけあって、量はすごかった。「かかってこいやぁ」と叫びながら孤軍で数百人のゾンビと戦うシーンもあり、大満足だ。因みに音楽は『ほぼ300』や『ほぼトワイライト』などパロディ映画を多く手掛けるクリストファー・レナーツ。ゾンビ映画という中身に不釣り合いなくらいに緊迫する音楽のおかげで、ちゃんとホラー映画感もあった。
コトリから貰ったレモンカスタードジャムが美味しい。うちにはつけて食べるべきものが無いので、少しずつ舐めている。「パンにつけて食べるとおいしいわよ、ちゃんとごはん食べてね」という言いつけは守れなかった。うちには餅とうどんがあったのでそれでなんとかと思ったけれど、やっぱりジャムはパンでなくてはダメだった。せめてクラッカー。
『サイレントヒル』を観た。ロリな映画だよ、と勧められていたけれどホラーコーナーにあった。ロリな映画だと信じて見始めたけれど一向にホラー映画だった。そして件の女の子(主人公の娘)は殆ど出てこない。けれどどことなくギリアム映画っぽくてロリな映画と勧められた理由が分かった気がした。たぶんジェフ・ダナとジョデルが出ているからだ。
ついに『ノスフェラトゥ』を観た。モノクロの『吸血鬼ノスフェラトゥ』のリメイク版で、原作はブラムストーカーのドラキュラ。前半部分の筋はコッポラ版と変わらないので油断して観ていたら、画面上がネズミだらけになっていた。ゲイリーオールドマン、ベラルゴシ、クリストファーリーら美貌のドラキュラとはうってかわって、最後まで醜悪なメイクを崩さなかったクラウス・キンスキー。全く恋できないけれど、思ったよりたくさんのネズミと思ったより沢山の棺桶が出てきて大満足だった。余談だけれど、昨年見たダリオ・アルジェント監督の『インフェルノ』の館探索のシーンにそっくりなシーンを見つけた。雰囲気から音楽までそっくりだったので、アルジェントもやっぱりノスフェラトゥのファンだったのかもしれない。