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1993年生まれ。江戸川区出身。写真家、仮面劇俳優、インプロバイザーとして活動中。人物ポートレート、人物スナップを得意とする。

先日インプロ(※1)界隈の友人と話していて、「ラバーズって何するの?」と聞かれた。言葉につまってしまった。わたしは、わたしと大切な友人たちが傷つかないショーを作りたい、ということ以外を言葉にするのが少し辛かった。

もともと、ラバーズを作った始まりは、ザ・ベクデルテスト東京公演(※2)の観客から「LGBT版等もやって欲しい」と言われたことだった。ザ・ベクデルテストのフォーマットは、女性が舞台上で輝くために作られたものなので、同じシステムで「じゃあキャラクター全員LGBTでーす」というわけにはいかなかった(あと、うまく言葉にできないけれどそのやり方だとわたしが傷つくし、疲弊しそうなので全然やりたくなかった)

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少し話が飛ぶけれど、わたしが傷つかずに見られて、登場人物が心地よく愛し合っている創作物として漫画「きのう何食べた」がある。こんな風に、インプロでもできたらいいなと思った。非常に不愉快な話だけれど、インプロのシーン設定で、男性同士に「あなたたちはカップルです」と言ったとき、片方がいわゆる”オネエ”をしたり、ゲイであることが主旨のシーン(ゲイ演じることを見せるシーン、あるいは過度にセクシャルなシーン)になりがちだなあと思っていた。そこにまず愛はなかっただろうし、演じることにも愛はなかったように思う。

そんなの、もう、まじで、終わりにしたい。

わたしの大切な仲間に、当たり前にそのオファー(※3)をすることに恐怖を感じたりしてほしくない。シーンの中で「ゲイだって普通にいるから」とか、絶対に叫ばせたくない。

ともあれ、わたしは「セクマイが普通に出てくるインプロショーやります」という告知は絶対に嫌だった(何人かに、そういう告知をした方がいいと善意のアドヴァイスをもらった)今までそういう物言いにどれだけ傷ついたかわからないし、それは「あなたたちの権利をわたしが認めてあげる」と言われているような不愉快さがある。少なくともわたしは、絶対に嫌だ!!!!

だから、わたしたちがするのは、ただ、愛の話だ。親子、友人、愛し合う人たち、どこにでもいる普通の恋人たち、たぶん隣の部屋にもいるかもしれない人たちの、人生のキラキラした瞬間やなんでもない瞬間をギュッと詰め込んだショーを作りたい。ラバーズのメンバーは、わたしが信頼出来て、一緒に愛のあるシーンを作れる人を集めたつもりだ。ちょっとインプロなのでどうなるのかわからないけど、6月2日は是非ご予定をあけておいてください。

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【※1 インプロ】
予め決められた脚本や設定のない状態で、舞台上にあるアイディアや観客からのアイディアを使ってシーンをつくっていく。即興演劇。
【※2 ザ・ベクデルテスト東京公演】
すごく簡単にまとめると女性が舞台でバイアスに負けずにキャラクターを作りやすいよう作られたインプロのフォーマット。詳しくは東京公演振り返りで( https://froggohome.com/2017/12/4785 )
【※3オファー】
インプロの最中にどんなシーン展開にしたいか、設定にしたいかなどの提案をすること。簡単にいうと「たかし君!」と呼ぶとたいていの場合相手はたかし君になるし、「たかし君!」と呼びながら首に手をまわしキスをすれば「たかし君と○○は恋人同士、、、?」などの設定になったりする。ならなかったりもする。

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2018年3月24日、若葉町ウォーフにて「ザ・ベクデルテスト横浜公演」を行いました。この公演は、21日から23日にかけて、出演者で行われたワークショップ(稽古)を経ての公演でした。松山、東京公演を経て、ザ・ベクデルテストのフォーマット自体をやりやすい形に少しずつ変化させていき、今回はお客様からキャラクターに関わるアイディアをもらうことをやめることにしました。
東京公演後の研究会(江戸川カエル主導)、蔵前で行われた公開ワークショップ(江戸川、下村主導)、横浜公演前のワークショップ(高尾隆主導)、本番昼夜公演で感じたことを書いていきます。時系列がごちゃごちゃになりますが、思い出した順番に書きます。

●演劇は、社会を写す鏡ではなく、鏡を壊すハンマーだ
わたしはずっと、心のどこかで、「実際はこんな時は・・・」と思っていた。だから、男性の上司に「女性を使って仕事をしろ」と罵られるシーンで黙って頷いた。本当は手元の灰皿でそいつをぶん殴ってやりたかった。そういうわたしを見て、どみんごが「演劇は、社会を写す鏡ではなく、鏡を壊すハンマーだ」と言った。確かに、小説だって演劇だって実在しないものが沢山出てきたり、激昂して人を殺しまくったりしているのに、ベクデルテストのこととなると、灰皿も身をひそめてしまっていた。
このワークショップをえて、この言葉をうけて自分の「こうありたい」「こういうものが見たい」を少しずつ信じられるようになった。

●死にたくない、だから死なない
日野さんは、無農薬食品会社の社長の役だった。昔病気をして、身体のことを気使うようになって会社をたちあげた、という設定だった。そんな彼女が医者から病気を宣告される。「こんなに体のことを気遣ってきたのに・・・」
彼女が病気になったとき、プレイヤーの殆どが「この人死ぬな」と思っていたし、みんなそういう流れを作り始めていた。しかし、日野さんは「大丈夫だったの!検査が間違っていたの!」と病気のくだりを全キャンセルしてしまった(インプロ的にはあまりやらないことなので、すごくびびった)
このときのことをアフタートークで話した。日野さんは「身体のことをこんなに気遣って食品会社まで立ち上げた、この人が病気で死んでしまうなんて嫌だったので死なない!!と思った」と語った。日野さんがいなければ、わたしたちは、超頑張ったバリキャリの女性を殺す選択をしていたのだ。その凶器がなんであれ。女性の悲劇を見たくないと、わたしはあんなに言っていたのに!

●”サボテン系女子”
松山公演、東京公演では観客にアイディアを貰いながらキャラクターを作っていった。例えば、職業や趣味、嬉しい瞬間など。貰ったアイディアをもとに作ったキャラクターにはある偏りが生じた。「友達が少なく、恋人がおらず、内向的、趣味はインドアで一人で家で行うもの(ボトルシップ作りやサボテン栽培など)」という偏りだった。運動部出身のキャラクターも、いわゆる”パーティー女子”も出来上がらなかった。それが、わたしたち演じ手の問題だったのか、観客のバイアスによるものなのかはわからない。おそらくどっちも、であったと思う。もしかしたら、モノローグ(※1)から連想されたことなので、誰かと楽しく会話をしている姿をすぐにイメージするのが難しかったのかもしれない。
東京公演後、クローズドで研究会を行った際、この「サボテン系女子」以外のキャラクターを引き出す質問を考える時間を設けた。例えば、高校生であることがモノローグで判明したキャラクターに「この人は何部ですか?」という質問をすると、何故か文芸部や手芸部があがるが、「この人はある運動部にいます、何部ですか?」ときけば、普通に運動部があがった。
また、「この人が会いたい人は誰ですか」という質問よりも、「この人に会いたがっている人がいます、誰ですか?」など、人と関わっている姿が連想される質問の方が内向的なだけのキャラになりにくいね、と思った。「この人が会いたい人は誰ですか」という質問自体が人と関わる前提の質問だとわたしたちは捉えていたが、過去のベクデルテストのリハーサルや本番を通して、有名人や死んだ人の名前があがりやすい傾向を感じていた。

●「女の一生」は悲劇か
横浜公演の事前ワークショップでは、モーパッサン「女の一生」をイメージした稽古が行われた。(もしくは「わが町」とのことだった)イメージとしてとてもわかりやすく強いものだったが、わたしはこの、言葉自体にとても違和感を覚えてしまった。モーパッサンの小説の原題には女性を意味する単語が使われていないのだが、日本語の「女の一生」という言葉の暴力的といえる力強さに引っ張られてしまった。
そして、小説のことを忘れたとしても(あるいは知らなかったとしても?)、なんとなく「女の一生」から想像するのは悲劇であったし、わたしたちが稽古の中で作っていたのはおよそ悲劇と分類されうるようなものだった。悲劇とまではいかなくとも、ネガティブな感情の高まりを見せるようなシーンが多かったように思う。
本番前に、急に悩んでしまったことがある。
わたしがいつも憤っているのは、わたしが、ショーの中で”女性”として消費されるということだった。これからやろうとしているショーが、”女性”としてのわたしたちを消費するものにならないために、どうしたらいいかと思った。わたしが見せたいのは女性の悲劇じゃなかった。わたしは、これから演じる誰かの一生を作りたかった。それが結果として悲劇になったとしても。

●傷つかずに見られるもの
横浜公演のアフタートークで「傷つかずに見ることが出来た」と言ってくれた観客がいた。
この言葉の意味が、わたしにはすぐに理解できた。わたしは、よく傷つく。それは、悲劇的なストーリーや場面によって出来た傷ではなくて、どういうキャラクターとして扱われているかということ、キャラクターがどう扱われいるかということに対してできた傷なのだ。例えば人種、セクシャリティ、職業、身体的な特徴(身長や体型)の扱われ方に傷つくのだ。(最近減ったような気がするが、ゲイはセックス大好きだというキャラとして扱われたり、映画冒頭でいわゆるモブ的な無駄死にをするのは白人ではないことなど)
4年ほど前に見た映画でとても傷ついたことがあった。女性のAV監督が撮影した映画で、セックスワーカーにフォーカスした映画ということで興味があり友人と見に行った。中では実際のセックスワーカー(とされている)何人かへのインタビューと、普通にドラマが進むパートが交互に映し出された。わたしが傷ついたのは、インタビューの編集の陰湿さと、ドラマパートでワーカーが必然性なく殺されて映画が終わったことに対してだった。意図的に、”ワーカーの抱える心の闇”を捏造しているように見えたし、それをファンタジーではなくインタビューで行っているところに、陰湿さを感じた。わたしは知らない、それがリアルだったのかどうか。だけど、100歩譲ってリアルだったとして、彼女らの実際のインタビューあとに、何故、殺したのかわからなかった。ドラマパートの中では、”彼女がセックスワーカーである”こと以外に殺される理由がなかったから。

横浜公演で、わたし自身(また恐らくほかの出演者も)観客を傷つけないという発想はなかったし、今後も傷つけないようにというつもりでやることはないだろう。それは、はかることの出来ないことだし、検閲がかかって苦しいから。
だけど、「傷つかずに見ることが出来た」というのは、わたしにとってとても勇気のでる感想だった。

※1 モノローグ
役者がひとりで舞台にたち、相手役なしで語る、ひとりがたり、独白
(後半へ続く)

過去の公演レポート
松山公演/東京公演

2018年4月25日、蔵前4273にて「ザ・ベクデルテストのためのワークショップ」を行いました。

ワークショップでは、軽いウォーミングアップから始め、ベクデルテストの本編を実際に体験してもらいました。

―やったこと―
名前を言うゲーム
ポートキー(「といえば」「○○の時代に連れて行きます」)
ベクデルテスト本編
ステータス
侮辱ゲーム
アフタートーク

本編を進めるうえで、必要だったゲームをいくつか途中ではさみました。
今回のワークショップを得て、わたしが感じたことをあげていきます。
●”OL”の呪い
モノローグを終えた47歳の中川みきさんに職業と年齢を尋ねると、「47歳、旅行会社でOLをしています」と答えた。その後、参加者と一緒に、みきさんが働いている様子を想像してみた。中川さんは会社の中でどんな立ち位置で、どんな仕事をしているのだろうか。
嘱託、派遣の事務、企画部のボス、店舗のトップ。47歳で、仕事をしていれば、企画部のボスになっていてもおかしくない。だけどわたしは、このチョイスをごく意図的に行った。何故なら、なんとなく「旅行会社でOLをしています」という言葉から自然に、企画部のボスを連想することは難しかった。OLという言葉は死語になりつつある(し、そうであってほしい)オフィスレディという響きからは、なんとなく単純事務作業やお茶汲みをする姿が連想される。
横浜公演を経て、それが今までの普通であろうがなかろうが、ありたい世界を描くことを志向すると決めることが出来たので、今回は中川みきさんに素敵なボスをやってもらった。アフタートークでは参加者から「親の世話をしながら働く女性に対して、なんとなく低い地位を連想してしまったけれど、これが自分のバイアスだと思った」という言葉が出た。実は、その想像はわたしにとっても自然なものであった。今回のワークショップファシリテーションでは、”自然であること”と”あってほしい世界”であることを自分の中で区別して、徹底的に後者を選んでいきたいと思って臨んだ。

●「ヒール」をやるのも楽じゃない
今回は日常的にインプロをしている、男性インプロバイザーの参加者が多く、わたしには想像もつかなかった意見をもらった。
「女性がやり返してくれると思えば、安心してヒールをやることができる」
確かに、今までのインプロショーで、女性と男性のシーンで、男性がヒールに徹するシーンは少ない。何故なら、お客さんは、「女性インプロバイザーが言い返せないのに、いじめをしていると受け取るんじゃないか」とか、とにかくひたすら、見ている人も演じている人も嫌な気分になるシーンになってしまう恐怖があったからだ。
このことで、ふと思いついたことがあった。既存映画の中の、スーパーハイステータスな女性主人公は、ヒーロー以外の型がある。サンセット大通りや、ヘルタースケルターなど、しばしば半ば怪物として描かれている。時には男を食らい、殺す。フランケンシュタインや男性を怪物として捉えた映画では、怪物たちのステータスは決して高くないのに、なぜだろうと思っていた。その理由はここにあるのかもしれないと思った。ハイステータスな女性が男性を嬲るところはファンタジーとして消化できても、その逆は不愉快で見ていられないから(少なくとも簡単には女性の目に触れない場所でしか)作られていないのかもしれない。(あと、怪物的な女性が女性を貶める理由は今までいつだって男のことばかりだったなとも思う)(このことはもう少しゆっくり考える)

●女性に対するステータス
男性インプロバイザーからの振り返りで、「女性といるとき僕はステータスを下げることが出来るけれど、あげてなきゃいけないと思っていたり、下げられない人も多いかも」という衝撃の意見を貰った。

※わたしのためのおぼえがき
「ヒール」からの流れで、女性と男性のシーンで、女性が怪物化せずにステータスをあげるためには、現状バーフバリゲーム2が必要不可欠だと思った。
ステータスワークはもう少し丁寧に説明しよう
コンタクトインプロの後で背中がとても柔らかかったので、わたしの声がよく出ていてとても気持ちよかった

これが朝7時のテンションか、というくらいのアップミュージックの中、わたしにとっては4軒目の小さな飲み屋にいた。「どうして元気ないの、陰気だわー」とマスターにピコピコハンマーで殴られる。ピコ、ピコと間の抜けた音がして泣きそうになる。優しい町。わたしとまじわらなかった人生の、わたしに傷つかない人たちの、喧噪。ピコ、ピコ。

最近わたしが一番エモーショナルになるのは神田駅のトイレだ。神田駅のトイレは寛大で、繊細でシャイな胃腸も、一ヶ月蓋をしていたやりきれなさや悲しみも、すべて受け止めてくれる。トイレに鞄を忘れても、手元に戻ってきてくれた。

当日の動画(全編)です。

作品情報:
仮面劇「京島長屋のロミオとジュリエット」
THE MASK THEATRE Romeo & Juliet in the row house

日時:2018年3月31日(土)13:00〜、14:00〜、15:00〜
会場:京島長屋(東京都墨田区京島3-62-7この先行き止まりの路地入ル)
料金:無料
上演時間:10〜15分程度
※屋外の路地にて観覧

原作:ウイリアム・シェークスピア
構成・演出:福田寛之
出演:内海隆雄、江戸川カエル、下村理愛
制作:仮面劇おもて
協力:京島長屋82日プロジェクト

いがみ合う両家に生まれたロミオとジュリエット。二人は舞踏会で出会い恋に落ちた。ジュリエットはバルコニーでロミオへの想いを語ります。ロミオはジュリエットに会おうと屋敷に忍び込み、二人は逢瀬を果たします。
イタリアのヴェローナから墨田の京島へ。土地と時代は変わっても恋する若者たちは変わらない。消えゆく長屋を舞台にした仮面劇「京島長屋のロミオとジュリエット」
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路地にて、カニを配る少年

今夜、愛の話をしよう

日時:6月2日
   16:30~/19:30~
(各回100分前後を予定)

料金:1stage2000円+1drink
   2stage3000円+1drink
   (学割)alltime1500円+1drink

場所:高円寺グリーンアップル

予約:ご予約はお問い合わせフォーム及び出演者ツイッター、フェイスブックイベントページにて承ります。

出演:江戸川カエル(仮面夫婦)
   内海隆雄(第三インプロ研究室)
   忍翔(劇団しおむすび)
   住吉美紅(Platform)
   だいら(劇団しおむすび)
   高見次郎(Tottoria)
   むらし(タピストリ)
出演者紹介はこちら

スペシャルミュージシャン:
シンガーソングライター瑜伽陽介

優しくて、あたたかくて、寂しくて、ちょっぴり切ない7人で愛の話をします。出てきたエピソードから、即興でシーンを作っていく、トーク×インプロ×ミュージックショー。

【インプロとは】
即興演劇。あらかじめ決められた設定や脚本がないなかで、舞台上でうまれたアイディアやお客様からいただいたアイディアをもとにシーンを作っていく。