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1993年生まれ。江戸川区出身。写真家、仮面劇俳優、インプロバイザーとして活動中。人物ポートレート、人物スナップを得意とする。

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こんにちは、江戸川カエルです。
これから、わたしがジェンダーに対して感じている漠然としたしんどさを頑張って説明します。昨日の打ち上げでスタッフに「内面化ってどういうことですか」と聞かれたのでその説明も含めてご笑覧ください。

皆さんは英語、話せますか?わたしはおそらく、英語圏の10歳児程度の英語力です。ディズニー映画ならかろうじて観られる程度です。もちろん、日本語字幕つきでしたら法廷映画も医療サスペンスも見られます。そんなわたしですが、以前アメリカとカナダでインプロ(※1)ワークショップに参加しました。
トータルで約1ヶ月、英語圏で生活しながら英語でインプロレッスンを受ける中で、なんとなく子供に戻ったみたいな気持ちになりました。インプロをやる上ではとてもいい状態(※2)でしたし、参加者も講師もみんな優しかった。わたしが参加できるシーンをうまく作ってくれたりして。でも、たまに漠然としたしんどさを感じることがありました。例えば、当時20歳のわたしはお酒も飲むし煙草も吸うし、セックスも人並みにしてるし、将来のことを考えてもいたし、それなりに思想も意思もありました。だけど、そのことはまず「英語でうまく伝えることができない」だからなのか「ないことにされている」ような気持でした。わたしがカナダ、アメリカで始めの頃演じることが出来たのは、主に子どもの役か、オリエンタルなイメージなのか「マッサージ師」「さむらい」「観光客」でした。もちろん、日本でも比較的幼く見えるほうな容姿の問題もあったと思いますし、とにかく残念な英語力の問題もあったと思います。それに、不思議なことなんですけど、10歳児並の英語力で話しているとなんとなくそれ以上難しいことがあまり考えられなくなるんですよね、自分10歳児なんじゃないかと錯覚しそうになって怖くなって、ホステルで安部公房の「箱男」を読んで気持ちを落ち着かせたりもしました。
大好きな映画の話だけは人名と作品名で対応出来たので「キューブリックやクローネンバーグ、クリストファーウォーケンが大好きです」と言ったあたりから、なんとなく「おやおやこの子は見た目も言葉も10歳だけど中身は20歳なんだな」ということが伝わり始めた気がします(コナンみたいですね)
それでもやっぱり、お酒を飲んだり煙草を吸ったり、飲みの席で恋人の話をしたりするとビックリされました。日本人に対するどこか真面目なイメージもあったと思います。わざとやったんですけど、喧嘩のシーンで捨て台詞に「Suck my dick!」と叫んだ時は死ぬほどウケてましたしみんなビックリしてました。実際にルームメイトと喧嘩した時に「Don’t treat me like a baby girl」と言ってぶち切れたのを周りの人たちがみていて、あとで「ずっとわたしたちは、あなたがシャイな日本人だと思っていたけど、全然そうじゃなくて純粋に英語がそんなに出来ないってだけなんだね!」と言われて、逆に「え、そうだよ?なんだと思っていたの?」という気持ちにもなりました。
帰国してから、母国語が日本語ではない人と日本語で会話をした時、とても敏感になりました。独特イントネーションにどこか「舌足らずさ」を感じて、まるで子供に話すように接してしまう自分に気が付きました。平易な日本語でも大人と話をすることは出来るのに、選択する話題のトピック自体がもう子どもと話すようなことなんです。そういう自分にかなりショックを受けました。

日本語と英語に、本来なら優劣はつけられないけれど、実際英語で喋れた方が圧倒的に多くの人ととコミュニケーションが円滑になります。もしかしたら多くの日本人は、”英語が喋れない”ことに劣等感を感じているのではないかなと思います。ですが劣等感を感じていることにすら気が付けないくらい当たり前の感覚になっている。これが”内面化”です。ものすごく乱暴に説明すると、10歳児程度の英語力の日本人が、10歳児程度の日本語力の英語圏の人と会話するとき、ごく自然に当たり前のこととして英語を選択したとします。これが”内面化”です。二人とも日本語で喋ることも、ルー語(※3)で喋ることもできたはずなのに。

昨年10月、グルジアで行われたコンタクトインプロのワークショップに参加しました。コンタクトインプロというのは、簡単にいうと合気道とコンテンポラリーダンスを組み合わせたもので、パートナーに触れたり体重を預けあったりしながら即興で踊るものです。グルジアで行われたのは「サイレントコンタクトインプロフェスティバル」で、7日間、参加者、講師ともに一切の言語コミュニケーションをとらないことを志向するワークショップです。1日10時間、言語コミュニケーションをとらずにコンタクトインプロをし続けるというワークショップでした。サイレントのワークショップで、一番違ったのは、出身国や名前を言わない聞かない、ということでした。名前で個体識別をできないので、そこにある身体と直接出会うことしかできない。特に日本人が海外のワークショップに出たときに、何より言語弱者の「日本人」であることがアイコンになりがちなので、それがなくて居やすかったというのもありました。そもそも言語で喋らないんだもん。

因みに、ここまで話してきた言語の問題はわたしの言いたいことと「似ていること」です。わたしは別に「日本語に権利を」とも「みんなルー語を喋ろうよ」とも思っていません。英語のことを考えるときに、痛みも怒りも伴わないくらい余裕のあるの立ち位置にいます。「英語が世界の共通言語ということに違和感をもったことない人っているんだなあ」くらいです。正直、英語本気で勉強すれば2ヶ月でかなりのとこまで行ける自信がありますし必要ならそうします。現状日本で日本語で生活しているから言えるのかもしれない。そしてその自覚があるからこそ、母国語が日本語ではない人と日本語で会話をした時に、二人のコミュニケーションに日本語というツールが選択されているということを忘れないようにしようと思っています。

わたしがジェンダーに関して感じている漠然とした生きづらさは、これに似ているなと思いました。
生まれつき「英語圏にいる日本語が母国語の人間」のような生きづらさ。女体であるというだけのことで、ふんわりとした舌足らずさを常に自分に感じてしまう。まるで、自分の能力が劣っているように感じてしまう。日本語であれば大学卒業程度、数三Cまで理解できていたわたしが、なぜか英語の世界では10歳児になってしまうのと同じように(日本語で喋ってるのに、すごいよね!)
わたしはいま、わたし自身がジェンダーのことを考えたり書いたりするとき、怒りも痛みも伴うところに居ます。なぜそうなってしまっているのかというと、わたしは生まれつき”女性の身体(と呼ばれているもの)”を持って生まれてきて、”女性のジェンダーロール”が当たり前だと思って生きてきたからです。”女性のジェンダーロール”というのは、(めちゃくちゃ沢山あるし相対化できていないのですが)例えば「女の子は家事ができたほうがいい」とか「子どもを産むかもしれないんだから冷やしちゃだめよ」とかです、乱暴に言うとね。(わたしは諸事情で子供をもつ予定が全くありませんが、それを言うと「でもね、、」と子供をもつことの社会的意義やすばらしさを訥々と説明されたり、母性のなさを糾弾されたりします)

ほら!もう文章からして痛みと怒りを伴いはじめた。ちょっとお茶を飲んでから続けますね。

とりあえず、自分が現状どこにいるのかをわかりやすくするために、わたしが考えている「わたしの現在地」めちゃくちゃ乱暴に整理してみました。

●人間には男性と女性という2つの種類があるとされています(性器の形が少し違う)
●色々あって男性には”リーダーシップ”であったり”強さ”や”仕事をする”という役割、女性には”子どもを産む””家事をする””ケアをする”などの役割が適していると考えられ(誰に?)なんとなく割り振られている
●役割としては”リーダーシップ”のほうが”ケア”より重要、必要、エライって思われている。”仕事をする”と”家事をする”も対等ではなく、”仕事をする”ほうがエライ。

つまり、現状のわたしは、女体(と呼ばれているもの)を持って産まれてきた時点で、”女性の役割”を期待されていますが、はじめから”女性の役割”自体が”男性の役割”よりも劣っていると考えられているような気がしています。かといって、その役割から外れたことをすると人として(女として)間違っていると糾弾される様な気がする環境で育ってきたため、役割から外れたことをするのに慣れていない、そもそも役割から外れたことをするという思考に至ることが難しかったりする(英語だと10歳児みたいな思考になってしまうことと似ている気がします)
そして、わたしの中ではこれが内面化されています。産まれた時から自分は劣っていると思っているけどそのことに疑問が持てなくなっていた。
もちろん、今は、そうじゃないことを知っています。上記のわたしの「現在地」は全部間違ってるって、知っています。”仕事”と”家事”に優劣はないはずですし、男女でその役割が割り振られる理由もありませんし、そもそも、人間は男女の2種類で分けられません。

こんな風に書いてきて、やっとじぶんの整理がついてきました。ここからはわたしが、わたし自身のためにやってきたこと、やっていく必要があることを書きます。
実際同時にやっていくかもしれないし、順番が前後したりする可能性が高いことです。
●自分の中で内面化されているジェンダーバイアスとミソジニ―に気づく
●↑と闘う。これにはどうしょうもなく痛みと怒りを伴うし、怒りのエネルギーがないと今は向き合えない(今ココ!)
●それでも、なるべく(なるべく)ミサンドリーに振り回されないようにする
●怒らなくても向き合えてこのさきどうすればいいかを、恨み抜きでちゃんと考えられるようになる
●男女2元論を、身体レベルで冷静に相対化できるようになる

どうしてこんなに不安になったり、怒ってしまうんだろうとずっと考えていました。最近なんとなく思うのは、「見えないから」なのかなと思います。例えば英語と日本語で言えば、日本人でも英語勉強してペラペラになった人がいるのを見ているし、ルー語のコミュニケーションがとれることをちゃんと知っているし、グルジアのように言語外でのコミュニケーションの成功例が自分の中にある。でも、わたしはまだ、ジェンダーバイアスのない世界を生きたことがないし、それがやってくるのかわからない。果てしない。
今のわたしがこうして、あるレベルまで言葉にできるのも、怒って泣いて闘ってくれた先人たちがいたからです。過去の物語を読んでも、バイアスのなかで戦って勝ち抜く女性は見ることが出来ても、そうでない社会をまだ見られていない。現状、怒って泣いて勝ち取る物語が、わたしの中でのジェンダーの進み方の基本なんです。血と涙と経血で渡された橋の上を歩きながら、わたしも泣いている。(遅れてるよね!わかってるよ!)

わたしには内海くんという男性の相方がいます。最近のわたしは、どこかで内海君を”男性”として断罪してしまうことが多々あります。ミサンドリーの激流の中にいます。そのことに気づいて申し訳なく思っています。怒りも痛みもなく、説明すれば聞いてくれることに対して、わたしはなんとなくイラだったり辛くなったりしてしまう。どうして”女性”が説明しないといけないのって。本当はルー語のはずなのに、あなたは余裕しゃくしゃくの英語圏にいるからそれが言えるんだよ、言語強者の自覚をもってよって。でも内海君は内海君なんだよね。男女二元論を強化してどうするわたしの馬鹿!って思っています。なんで怒ってるのかをうまく言葉にできないまま、怒りが”男性”や”内海君”に向かないようにするのは正直めちゃくちゃしんどいです。でも、わたしは内海君のことを人として愛しているから(向こうがそうであることも知っているから)なんとかしたいし、しようと思っています。

でも今の私には、それを完璧にこなすのは無理です。怒ってる。泣いてる。自分の中のジェンダーバイアスとミソジニ―とミサンドリーでぐちゃぐちゃになっている。もう少しでなんとかなりそうだけど、そのためにはまだ、このエネルギーが必要だって思えるくらいの位置にやっと立てた。

でもね、だからこれで終わりにしたいんです。わたしはわたしの、新しい物語を作りたい。怒って泣かなくてもいい世界になってほしいし、そういう捉え方で生きていける物語を作りたい。(この話も今度する)これから先の未来で、社会構造の圧倒的な理不尽さにひどく憤ったり、未来に希望が持てなくなってベソベソに泣いたりする人たちが少しでも減ったらいいなと本気で思っている。怒って泣いて勝ち取れとは言いたくない。だって怒るのつかれちゃうし、振り回されちゃうし。はやくその先に進んでワクワクしたいし、してほしい。

やっと「女たちの一生」の話をします。
今回の公演で、今すでにある構造に対してどうアプローチするのかを少しだけ学べた気がします。
みんなに悪意がないことは知っていたけど、わたしは稽古場でずっと怒っていた気がします。怒ってもしょうがないってわかってて、何に怒ってるのかもなかなか言葉にできなくて。でもその中で、えげつない構成に対してどうやってアプローチするかを、考えて、演出もキャストも敵じゃない、共生していくべき仲間なんだと言い聞かせて、ギリギリで喋っていたと思います。結果として、自分が納得できる形では上演されなかったし、仮面のなかで泣きながら舞台に立った回がありました。今でももっと出来ることがあったんじゃないかって考えてます。どうやって伝えたらよかったのか。それでずっと言葉にできなかったことや説明しても伝わりづらかったことを、言葉にする作業を、振り返りとかえさせてもらいました。
もう少し落ち着いたら具体的な話が書けたらいいなと思います。

見に来てくれた何人かの友人を傷つけてしまったこと、本当に申し訳なく思っています。それ以上にやっぱり、くるるのおばあちゃんたちに対して申し訳なく思っています。本当にごめんなさい。あなたの人生はあなたのものだから、あんなものに呪われないでくれ。

(※1)即興演劇。あらかじめ決められた脚本や設定がない状態で、舞台上やお客さんからのアイディアをもとにパフォーマンスをしていく
(※2)「よくみえるかどうか」を考えない状態で楽しく熱中してインプロに取り組むことを「子どもみたいに」って言ったり「子どもはインプロの天才」という風に言われたりしています。
(※3)今日の天気はVERRY GOOD!銀座まで Train で Go しよう。


ご来場いただきありがとうございました!
最後までついてきてくださったお客さま、そして我らが中村太郎ちゃんの人柄で、とても温かい時間を過ごすことが出来ました。

<キンちゃん>
宇都宮からの秘蔵っ子!突然呼び出したのに快く参加してくれてどうもありがとう。初めて見た時の感想は「この人はハートがめっちゃ強い!!」でした。本当に舞台にいるだけで楽しいんだなというのが伝わってきてすごく嬉しかったです。公演では、決勝進出!キンちゃんの秘められたパワーが爆発していたのを見て楽しかった!どこへ行くかわからないディレクションにハラハラドキドキしました。キンちゃんがいると、本当にびっくりすることが起きたり、信じられない台詞が飛び出したり、そういうところ大好きよ!楽しかった!またやろうね。
三月のライオンのシーン、図らずもぶっ壊してごめんね。

<じろう>
カエルと数年マタギでやってきた「じろう男になる」の続きができてよかった笑
ついにホテルに行く流れになりましたねえ(感慨)相変わらずのファンタジスタを見せてくれてどうもありがとう。開演前の大喜利の司会やってくれて会場の空気が最高of最高になりました。やっぱりあなたは天才です。わたしはああいう「ふわっとした」時間が作りたかった!鳥取から来てくれてどうもありがとう。ダンスとてもよかった。それから、パーティーのときに何も頑張らないでくれて本当にありがとう。じろうの周りだけ実家のこたつみたいになっていたの素晴らしかったです。来年は、、、そろそろわたしたち結婚しようか笑

<ひろきゅん>
運営の裏のボスお疲れさまでした。ひろきゅんに色んなことを投げさせてもらえたおかげでカエルはパンクせずに済みました。稽古場取得も買い出し大臣もどうもありがとう。稽古でふわっとした時間が流れてカエルがそわそわしていても、どーんと構えていてくれたので、なんとなく「本番は大丈夫っしょ!」と思いました笑
そういえば公演でも稽古でもあまり一緒にシーンやりませんでしたね。でも、今回は完全に「どんなことがあっても、ひろきゅんとさちさんが締めてくれる」の安心感のもとカエルはクソシーンを量産することができて本当に楽しかった!(ありがとう楽しかった~♪)なにからなにまで本当にありがとう。神様が降りてくるシーンもオープニングダンスも最高でした。来年は一緒に出る時間があったらいいな!

<ひろきさん>
久しぶりにひろきさんがプレイヤーとして出てるの見られてすごい楽しかったです!大好き!大好き!セカンドシティはインプロ史に残る名言として心に深く刻まれるでしょう。受付、当日言ったのに快く引き受けてくれて&完璧にこなしてくれてどうもありがとう。めちゃくちゃ助かりました。見えないところで気づいたらクルクル働いていてくれて、本当にすごいなと思いました。太郎ちゃんとの1分間のシーン最高だった!笑いすぎてお腹ちぎれるかと思いました。ひろきさんのああいうところが好き!ほんとに好き!出会った頃は「この人いつもヘラヘラしててなんなんだ」と思ってましたが、数年たって「本当にいつもヘラヘラしている!」ということの凄さに気が付きました。いつも共演者たちの様子気遣って、見えないところでそっと手を差し伸べるようなところがあって、そういうところ尊敬しています。あー、あと、スキー板はクリエイティブが爆発してて下から見てて嬉しかったー。出てくれてどうもありがとう。いつもいじってごめんね。いつまでも少年のようなひろきさんでいてください。

<うえぽん>
まず、本当にめちゃくちゃいい声!今回ショーで、うえぽんが出演者たちのボルテージの底上げをしてくれていたなと思います。うえぽんが居たから、みんなも声だせた!!うえぽんが笑ってるとみんなも思い切り笑えた!すごい。クリスマスイブに素敵なバッタを量産してくれてありがとう。あんなに可愛いスコアボード見たことがない!秘められたシュークリーム作りの才能も発揮してくれてどうもありがとう(カエル不器用で、途中でうんこ作ってごめんね)漫才もとっても素敵でした。稽古の時にやったTwoVoiceも楽しかったー。どんな瞬間もお客さんとパートナーとまとめて楽しむことを忘れない姿勢がめちゃくちゃかっこいいです。じろうとドライブしてるとき街並みやってくれたのも嬉しかった。それから、ひろきさんとのスキー板は今年のカエルのベストモーメントです!どうもありがとう。来年も激闘でお会いしましょう。

<さちさん>
優勝おめでとうございます!悔しかったな笑
今回女性陣少ない中で、本当に頼もしかったです。さちさんが居るから、何してもいいやと思えました(初戦でトリしてくれるの決まった時からカエルは全部投げようと思ってました、ごめんね!笑)カエルがどんなクソしてもさちさんがなんとかしてくれるでしょうみたいな感じでめちゃくちゃ甘えてました笑
カエルディレクションのシーンで家賃取り立てに入ってきてくれてどうもありがとう、めっちゃくちゃ嬉しかった!そうそうそれそれ!って思いました。ナイス大家、ナイスさちさん。パーティーでも、色んなお客さんを出演者と上手に引き合わせたり、すごくしなやかに動いているの頼もしくて綺麗でかっこよかったです。居るだけで雰囲気がパッと華やかになって締めるとこちゃんと締めてくれて、あー、もう、さちさんは、わたしの憧れです。来年はもっと出会う機会増えたら嬉しいです!

<カリー>
カリー!共同主催お疲れさまでした!半年前からのわたしたちの悲願、楽しく叶ってよかったね!本当によかった!ひとえにカリーの尽力のおかげです。まず、カエルがスッポリ忘れたり考えていなかった運営のあれこれを全部リマインドしてくれてありがとう。音楽とかお金とか宣伝とか予約票とか稽古場確認とか、クレジット取得とか、もう全部やってくれたね、、、本当に助かったどうもありがとう。すごいよ。あと「場当たり」の存在を教えてくれてどうもありがとう。やってよかったね、場当たり。なんも考えてなかったや・・・。
本番では音響、照明、受付手伝いまでやってくれて、ひええええよくそんなに手があるな!と思いました(やらせたのは私でした、ごめんよ~><)いいとこで音いれてくれたり、ダンスミュージックもホラーの照明もその他無指示の落としどころも完璧だった。途中から諸々ミスでほんとにほんとの裁量で落としてもらうことになっちゃったけどすごかった!全然ハラハラしなかった(ハラハラしないのって本当にすごいことなんだよ!)心の声が漏れ出てたのも最高でした。ツイキャスも始めてくれてありがとう。なんでも「やるよ」って言ってくれるカリーがいたから最後まで走れました。感謝してもしたりない。これからも、どこへでも行ける強い信念とその快活さで、インプロ界に旋風を起こしていくことでしょう!期待してる!大好きよ!!!

<太郎ちゃん!!!>
まず、太郎ちゃんがインプロしているところだけ2時間近く見続けられるのとても眼福でした。
太郎ちゃんのことが大好きで、太郎ちゃんのことをもっと見たいし見てほしい!みたいな気持ちではじめましたが、結果として余計なお世話!みんな元から太郎ちゃんのことが大好きだなと思いました。会場が今までやったどんなショーよりも温かかったのは、ひとえに太郎ちゃんの人柄のおかげだと思います。プレイヤーとしても超魅力的で、わたしのお気に入りはキンちゃんとの1分のシーンでした。YesManとのシーンをあんなに楽しくできるの本当にかっこいい!!太郎ちゃんかっこいいよ!
あと、ヘレディタリー楽しかった。無茶ぶりに答えてくれてどうもありがとう。わたしは楽しかったしあれが正解だったんだよ!!!笑
一年の終わりに、最高の一日をどうもありがとう。お誕生日おめでとう、34歳の一年、中村太郎のご活躍とご多幸を願っております。

―――――――――公演情報―――――――

12月27日 START20:00 (OPEN18:30)
@東中野バニラスタジオ

★☆・・・TheTAROとは・・・☆★
中村太郎を愛する歴戦のインプロバイザー達が集い、熾烈な即興演劇バトルを繰り広げる。シーンごと観客の投票により、選ばれたベストプレイヤーが今夜の中村太郎をお持ち帰りできる。インプロが好きな人はもちろん、初めての人でも楽しめる、ひどく馬鹿馬鹿しくてハッピーで年末感あふれるステージ!
★☆・・・インプロとは・・・☆★
あらかじめ決められた設定や脚本のない状態で行われる即興演劇。お客様やパートナーのアイディアをもとにシーンを進めていく。

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・・・・・土居省吾(Believeeye)
彼の隣に居るだけで、
平和な気持ちになれる。

Facebookで初めて見かけた時に、
マグカップにメガネを書いている画像を
使っていて、なんとなく優しい人なんだなと感じた。
大勢でいるときに、ぼそっと呟いた人の声をちゃんと拾ってくれるし。
ある程度のことは、受け入れてくれる。
私は、彼にもなにかを教わりたいと思った。

そして、今回カエルさんとこうして
共同主宰ができてうれしい。
彼の人間性を多くの方にみてほしい。

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・・・・・キンちゃん(即攻笑団王手飛車取り!)
太郎ちゃんは一言で表すと、「めっちゃいい人」。
てゆーか、ほんとにめっちゃいい人!!!その可愛い笑顔からも、太郎ちゃんの優しさや、人柄の良さが溢れ出ていて、とてもチャーミング。
そんなチャーミングな太郎ちゃんはぜひみんなにも知ってほしい。太郎ちゃんはそういう人です。

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・・・・・・藤田祥(即興歌劇団ハイスピリッツ)
タローちゃんは、面白くてお洒落で、とってもいい奴です。
出会いは何だったか…確実にインプロ界隈でありました。
独特の佇まいとその不可思議な表現に、1発でファンになりました!
何度かインプロをする中で、呼んで頂いたタロープロデュースのショーは、彼の実直さとインプロ愛が溢れている素敵なステージでした。
タローちゃんって、師匠のエールに感動して泣いたり、トーナメントで負けて悔しくて泣いたり、するんですよ…!
あまりにもピュアでいい奴なので、悪いことしてるんじゃないかとか、実はどこか変態なんじゃないかとか、探っていますが、今のところ発覚していません。
キレッキレのセンスと腰の低さで、いつか天下を取ると本気で思っています。
タローちゃん、ピュアのまま突き進んでね!

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・・・・・横内浩樹(座・シトラス)
たろうちゃんのこんなところが好き。どんなに暗いとこでも松明のようにパッと明るくする笑顔が好き。何か話している時のリアクションが好き。何でもついつい話したくなる♪ ほんわかとしたキャラクターの中にアーティスティックな感性が滲み出ているところ。

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・・・・・小島啓寿(Asobiba)
たろうちゃんは『春』のような人です。
彼といるとフンワリと穏やかで、まるで春の陽だまりの中にいるような感覚になります。
みんな太郎ちゃんを好きになれ〜!

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・・・・・江戸川カエル
「人がいっぱい死にます」
即興激闘での一回戦、控えめにいって客席はドン引きだった。

一目惚れだった。

わたしは背中に汗をかいていたのを覚えている。
ずっと、こんなふうにインプロができたら素敵だなと思っていたものの輪郭を見せられたような気がした。
映画が好きで、本が好きで、顔をくしゃくしゃにして笑う、人懐こくて、照れ屋で、どこかひょうひょうとしていて、インプロ楽しさが暴走したり、どこもかしこも愛しかった。中村太郎がいるだけで、わたしの世界が優しくなる。鮮やかになる。なにこの素敵な生き物は!!

どうしてもお近づきになりたくて、Twitterストーキングして見た映画をわたしも見たりフィリップKディックの本を買ったり、中村太郎の出演するショーにねじこんでもらったり、カリーと「中村太郎と近づきたい共同戦線」を張って情報交換をした。妖怪たち(ひろきゅんとうえぽん)を駆使して外堀を埋め、横内ひろきの横槍を避けつつなんとか今回、まともに共演できることが決まった。ファンかよ、、、ファンだよ!!!!ただのファンなんです!!!!

言葉を尽くしても中村太郎の素敵さがうまく伝わらなくてもどかしいくらいにはただのファン。

今回のオファー、受けてくれて本当にありがとう。大切な誕生日をあけてくれてありがとう。中村太郎とインプロするの楽しみすぎてそわそわしています。ノリで本番までに腹筋割るって言っちゃったからわたしは今プロテインダイエット中です。今回のメンバーのなかで一番付き合い短いけど、愛の深さは負けていない気がするので、27日は絶対に負けませんどうぞよろしく。ラブレターになってしまったよ、、、。

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・・・・・うえぽん(うえくろ)
太郎くんとはなかなか長い付き合いになる。元々芝居仲間で、ウディ・アレンとかの映画の話が出来る友達で、一緒にモンハンに興じる狩り友だった。そう言えば僕が初めてインプロをやった時にも、太郎くんは見に来てくれてた。「僕も最近インプロやってるんですよー」と、あの懐っこい笑顔で言われて、「一緒にやれるといいねー」なんて話をしたのを覚えている。意外とあっさり夢は叶って、何度か一緒にインプロの舞台にも立った。
インプロバイザー中村太郎は、愛されるプレイヤーである。
彼が舞台に立っていると、みんなついつい笑顔で見てしまう。それは僕が持っていないもので、僕は時々嫉妬したりしつつも、一緒にやるとやっぱり笑顔になってしまう。そんな太郎くんに魅入られた人たちが、今回一堂に会する。きっとみんな笑顔で、きっと楽しいインプロになる。そう思うと僕はもうニヤニヤ笑顔になってしまうのでありました。

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・・・・・高見次郎(インプロ企画Tottoria)
『浦島』『桃』『金』。そして『中村』…
世には様々な『太郎』が昔話として存在しているが、『中村太郎』は、平成最初にして最後の『太郎』として、愛され続けるだろう…
『次郎』は、あんまり昔話に存在してない(密かに存在しているかもしれない…)ので、そこは羨ましい(笑)
正直、争いを好まなさそうなPeace Menだとは思いますが、内には秘めたる力が備わっているかもしれません。
だって、楽しそうにインプロする所がもう…秘めきれてないぐらいダダ溢れちゃってるんです~
そんな『東の太郎』は大注目です!

6月17日、仮面夫婦は初めてオープンステージに立ちました。(twitterハッシュタグ #仮面夫婦2018)
仮面夫婦は、THE MASK THEATRE 所属の仮面コントユニットです。江戸川カエル(イノセント)と内海隆雄(フラート)でお送りしています。
内海隆雄がわたししよりわかりやすい振り返りをかいてくれたので、わたしは稽古で思っていたこと、考えていたこと、激闘を経て思ったことなどをだらだらと書きます。
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<写真提供:ますくわーど>

●まず、仮面夫婦のことをちょっと好きになった。
抜群に可愛いし、そこそこいいもの作るなーと思った。稽古は、演出家のフックと、シーンをやって動画でチェックする、を繰り返しながら行った。稽古中、イノセントを被っているわたし(江戸川カエル)の動画を見て「あー可愛い可愛い」とはしゃぎながら見たり、面白くて爆笑したりする。変な感じかもしれないけれど、仮面を被っている自分の動画を見ても、あんまり自分のことだと思わない。結構冷静に「こいつつまんねえな」とか「この人足もっと伸ばせないのかな」と思ったりする。だから、仮面夫婦のことを、なんとなく「こいつら」と思っているふしがある。
そんな仮面夫婦が、人前にでてって、面白かったとか、感動したとか言ってもらえたのが嬉しかった。「こいつらなかなかやるじゃねえか」「かわいいいいいい」と思った。江戸川カエルが仮面夫婦のファンになった。
会場についた時点では一回戦を勝てればいいと思っていた。だけど、そこからどんどん「仮面夫婦を勝たせたい!!」と思うようになって、三回戦まけた時は超悔しかった。イノセント勝たせてやれなくてごめん、でも楽しかったね。

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●何を考えているかは殆どわからないけれど
正直、内海隆雄がどんなシーンを作りたいかとか、フラートが何を考えているかは普段は殆どわからない。だけど、舞台の上では、フラートが次にどう動く/動きたいのか手に取るようにわかるときがあった。稽古の時は、演出家のフックだけがお客さんなので、全然気づかなかったけれど、仮面をつけていると、冷静に、お客さんの息遣いや期待の気配を感じることが出来る。フラートが何を考えているかわからなくても、お客さんの期待、のようなものを通して、彼が次にどう動く/動きたいのかをわたしも感じることができた。(でもこれは、たぶん内海君がすごくいい仮面役者だから起こったことなのだろうなと思うと大変ありがとう、これからも頑張ろうねという気持ち)
フルマスクは、いわゆるトランス、をしない仮面だけれど、感覚としてはトランスに似てるなと思った。動く、見ている江戸川カエルの身体とは別に、お客さん側からの視点も少しだけ持てている(気がした)

●仮面は顔を隠して、喋れない?
お客さんの感想で、「仮面で顔を隠して喋れない二人が・・・」とはじまるツイートを見た。なんだかびっくりした。仮面で、顔を隠している、とか「喋れない」とは、全く考えたことがなかった。喋らない、表情が変わらない、と思ったことはあったけれど。これはたぶん、仮面が”はがれて”しまった瞬間があったからなのかなあと思った。仮面がはがれる、というのは、イノセントとフラートではなく、イノセントを被った江戸川カエルと、フラートを被った内海隆雄に見えてしまう、というときに、わたしが使っている。何をするとはがれてしまうのかは今のところ、わかりきっていない。今後考えたい。

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●仮面は育つ
喋らない仮面だけど、稽古中に「ボキャブラリーが増えたなあ」と感じていた。仮面にとっての語彙は身体にあるのかなと今は思っている。昨年9月、江戸川カエルとイノセントの組み合わせはいわば0歳児だった。出来る動きは、ごくシンプルな立ったり座ったりだったけれど、何度も被って、稽古を重ねていくうちに、イノセントはどんどん成長して、身体の語彙がどんどん増えていった。跳ねたり踊ったり、泣いたり、笑ったり、怒ったり。それらが少しだけ出来るようになっていった。以前は、仮面が浮く気がして首のあいた服が着られなかったけれど、今では割と着られるようになってきた。(と思っているけどどうでしょう?)
上の写真は、イノセントが怒っている。げきおこ。かわいいでしょ。

●エロ、グロ、ナンセンス、ジルバ、セックス、レスリング
昨年11月の仮面公演の稽古では、「エログロナンセンス」がなんとなくキーワードになっていた。仮面なら、生身の人間がやると見ていられないようなエログロナンセンスなシーンもコミカルにやることができる。エログロナンセンス大好きなわたしにとっては、それが面白いポイントだった。今回の激闘は即興なので、どこかでティルトしなきゃ、と思っていて、ティルトのタイミングでエログロナンセンスどれかを選択する練習も取り入れたりしていた(あまりうまくいかなかったけど)
3月くらいから、稽古でコンタクトインプロをしまくっていた。コンタクトインプロはジルバ、セックス、レスリングを合わせたものだと何かの本に書いてあった。ジルバもセックスもレスリングも、見ていると面白い。なんとなく、今後のコントのクリエーションではエログロナンセンスだけじゃなくて、「エロ、グロ、ナンセンス、ジルバ、セックス、レスリング」をテーマにしていきたいなと思った。字面もかっこいいし。
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最後に。内海君が殆ど書いてくれたので、わたしは少しだけ!

激闘ほんんとうに素敵なイベントでした。じゅんき、ありがとう。
仮面で出たいですと相談した時に快くOKしてくれて、喋らないわたしたちのために、工夫してくれたところもあって、感謝しかありません。すごく楽しかった、あと決勝は「よい・・」とほぼ泣いてました。
あと個人的に応援していた中村太郎さんが超素敵なパフォーマンスしていてときめきました。

そして、「仮面夫婦で出たい」を、受けてくれた内海君。わたしは飽き性なので、すぐに飽きちゃうかなと思ってたけど、カエルはまだ飽きてません。内海君がものすごいスピードで肉体改造したりどんどんうまくなっていくから、毎回違うのとても楽しい。カエルもどんどんフィジカル強くしてってそのうち両手で頭上にリフトできたら面白そうだなって思ってます。どうもありがとう、超楽しかった、これからもよろしく。

6月30日に、蔵前4273にてザ・ベクデルテストのためのワークショップvol.3を行います。
詳細、参加はこちら(https://www.facebook.com/events/632680807071596/)か、当HPお問い合わせフォームより受け付けます

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ベクデルテスト(※1)とは、映画や小説のジェンダーバイアスを見るための簡単なチェック項目だ
①名前がついている女性が2人以上登場するか?
②その女性同士が会話をするシーンがあるか?
③その会話の内容は、男についての話以外であるか?
このシンプルな3つの項目をクリアする映画や小説は、実はそんなに多くない。
ザ・ベクデルテストとは、ベクデルテストをパスするインプロを作るべく、BATSのリサ・ローランドが生み出した新しいインプロフォーマットのことだ。このフォーマットでは、3人の女性主人公が出てくる。その3人の人生のスナップショットを追っていくことができる。

松山東京横浜と3度の公演を経て、わたしが今どんなことを考えているかを少し書きたい。

●前置きをしなくて済むように
「女性だけど」社長だっていますよね、とか、ボルダリングしているかもしれませんよね、「女性だから」喫茶店で待ち合わせかもしれません、とか。第二回のワークショップでは何気なくそういった前置きをしてしまうことが多かった。「彼女は社長です」という自分のディレクションに、わたし自身が言い訳をしてしまっていたように思う。今度のワークショップでは、これらの一切を意図的にやめてみたいと思う。

●物語は作れないのか?
既存の物語の構造に乗せようとすると、男性主体になってしまいがちなので、今まではスナップショット的に人生を見ていく方法をとってきた。だけど、本当に物語は作れないのだろうか、とも考えている。今度のワークショップでは少しだけチャレンジしたいと思っている(難しすぎたらすぐにやめて違う方法を考える)

●今後のチャレンジ
ザ・ベクデルテストのフォーマットの意義は、「フォーマットがなくても当たり前に出来るようになること」だとわたしは思っている。
実はわたしは、タランティーノ、北野武、クローネンバーグが大好きだ。シェイクスピアも好きだ。だけど、この人たちの作るものはベクデルテストを一切パスしていない。今後は「インプロバイズドシェイクスピア」など、インプロバイズド○○を作る中でベクデルテストをパスする方法を模索していきたい。だって、わたしが見たいから。ベクデルテストをパスしたタランティーノが見てみたいし、北野武が見てみたい。

(※1)アリソン・ベクデルの漫画に出てきたキャラクターが「これをパスする映画しか見ない!」と話している場面から「ベクデルテスト」と名付けられた。

とにかくとても長いのと、ラバーズ本編の社会的意義や学んだことや気づいたことなどは1ミリも書いていません。ただのラブラブレゲエポエムになってしまいました。だから、これは、わたしが、みんなから受け取った、愛、のようなものを、忘れないために書きました。
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ちょっとわたしの話をする。
江戸川カエルは、愛とか希望とか平和よりも、孤独や絶望を撫でたり舐めたりすることで日々生きている。だけど、ラバーズの主宰をしていた約2ヶ月、みんなの前では、ちょっとだけ愛とか希望とか優しさとか明日とか、「生きてるだけで尊い」ということとかを信じたくて、正しくなくても優しい人でいたくて、そういう風にふるまっていた。ほんの少しだけ嘘をつきつつ。
本当はたぶん、わたしが一番、信じてなかった。みんなには稽古の最中に「来ただけでエライ」「生きてるだけでエライ」って言い続けていたけど、自分のことを心からそう思えたことは一度もなかった。

昨日のショーでは、メンバーみんなが、ずっとお互いの側に居続けることが出来たと思う。わたしは、ショーが終わるまで、こんな時間が来るってことを全然信じていなかった。だから、帰り道、さっきまでの奇跡みたいな時間のことを考えてずっと泣いていた。
「来ただけでエライ」をずっと自分のために言い続けてきた稽古で、ダルダルの主宰だったのに、ショーが終わるまで、一緒にいてくれて本当にありがとう。

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おしょう。最初にこの公演をやりたいと思ったときに、即答で一緒にやると答えてくれた。
彼の好きなところは、人のことを意外とよく見ていてくれているところ、ディレクションの愛と毒とおちゃめのバランスが最高なところ、たまに中身が小学生なところ、不条理なシーンも余裕でできちゃうところ。
出会いは最悪だった。5年程前になる。わたしが毎日「明日死ぬんだ」と思っていた時期のことだった。まだコンタクトレンズをつくる前で、何も見えていなかったのだと今は思う。世界に味方はひとりもいないと本気で思っていた。初めて会った日、なんであんなに泣いて怒ったのか全然思い出せないけど、帰りの電車で号泣しながら「おしょうは最低クソファシリテーターだ!地獄に落ちろ!」と大憤慨していた。(※ 5年前のことです、おしょうは最低クソファシリテーターではありませんのでみなさん安心してワークをうけてください)
 そんなこんなで時間が経って、そのあとどこかで彼を見かけても「ふーんだ!」という態度を取り続けていた。カエル反抗期かよ。申し訳なかった。
 おしょうが人間で、デーモンでも敵でもないと認識したのはそれから3年くらい経ってのこと。わたしが「今夜はカエらない」という2人ショーの企画におしょうを呼んでからだった。当時、「いちばんわたしと組まなそうな人とショーをする」と心の中で決めていた(本当に失礼な話です、受けてくれてどうもありがとう、おしょう)告知を打つ段階では、まだ、おしょうのことを魔界の人だと思っていたため「カエルとハデス」というひどいタイトルのショーだった。だけど、その夜のショーは、「カエらない」の中でも屈指の出来となる素晴らしいショーとなった。ショーの最中、おしょうは、ずっとわたしの側に居てくれた。一緒に困ってくれた。ステージの上で一緒に困ってくれたことが嬉しかった。上から手を差し伸べるのではなく一緒に困ってくれた。
 それから、わたしたちは、どこかで顔を合わせると「やあ」というくらいの仲になった。「やあ」「やあ」を繰り返すうち、少しずつ、距離が近づき、気が付いたら同志と呼べる人になっていた。おしょうすごい。
 夜回で内海君とカップルのシーン、とても素敵だった。「インプロショーの打ち合わせ」のディレクション、「ゲロを吐いちゃうシーン」のディレクション、すごくわくわくした。夕回でわたしが泣いている時に背中をそっと支えていてくれたことも嬉しかった。

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みくみん。彼女の好きなところは、起き上がりこぼしみたいなところ。ノーメイクが最高にかわいいところ。ピンクのワンピースが似合うところ。語るエピソードがストーリではなく詩的なモーメントで構成されているところ。いわゆる「チョイ役」がめちゃくちゃ上手くて素敵なところ。
この人とも出会いは最悪だった。この最悪な出会いに関してはみくみんが先に書いてくれているのでこちらを参照。おしょうとほぼ同時期に出会っている。この時期に出会った人間のこと、誰のことも好きになれなかったので、彼女が「カンチガイ」と好意的に捉えなおしてくれたことに関しては残念ながらほぼ全て事実であった。ごめんなさい。
ちょうど一年ほど前、偶然FBで流れてきたみくみんのブログを、なんとなく読んだ。そこに乗っていた写真がとても素敵だった。強烈に素敵だった。確か旅館かどこかで何か食べてる写真だった。ああ、見えてなかった。こんな顔する人だったんだなと思ったら、写真家として猛烈に悔しくなってしまった。しかも本人はその写真を「ひどいわけわからない表情」みたいに言っていたのが全然気に食わなかった。だって今までみたどのみくみんより好きだったから。
だからわたしは、わたしの好きなみくみんを探しに、彼女の家に遊びに行くに至ったのだった(大変失礼な話です。招いてくれてどうもありがとう)
 それから、わたしたちは、たまに「元気ですか」とやりとりをする仲になった。「元気ですか」を繰り返すうち、少しずつ、距離が近づき、気が付いたら同志と呼べる人になっていた。みくみんすごい。
 みくみんの語ってくれたエピソードのおかげで、夜回、奇跡みたいなミュージカルを作ることが出来た。本当にありがとう。あと「枝豆にな り ま す」と言ってしまう居酒屋の店員が、2度出てきたの嬉しかった。京都を彷徨うおしょうの影のモノローグはちょっと泣きそうになった。「安良川かえるに改名して、むらしと出会いなおす」シーンも本当にありがとう。改名やめるって決めました。一緒にキラキラのゲロを吐いたのとても楽しかった、たぶん一生忘れない。

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じろう。出会いは全く覚えていない。いつだったかすら思い出せない。気が付いたら愛していた・・・。じろうちゃんは、どんな空気もじろう色に変える天才。困っている人や悲しい人をみるとなんとか励まそうとするけれど、ほぼ空回りしていく様子もかなり好き。インプロしてるとき本当に楽しそうなのが素敵で、じろうを見ると「ああインプロって楽しいんだもんな」と思い出すことが出来る。
今回のショーにじろうちゃんを呼んで本当によかった。じろうちゃんがいてくれたから、わたしは最後まで明るくやりきることが出来た。たぶんみんなもそうだったんじゃないかなと思う。その素敵な笑顔とエネルギーで、鳥取をじろう色に変えてください。

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 だいら。今回のショーへのオファーがきっかけで出会った(見たことはあった) だいらの好きなところは、わたしより感受性が強いように見えるのに全然拗ねてないところ、すごい、大人かよ。(カエルがおしょうと出会って糞野郎と罵っていたあたりの年齢かと思うとひれ伏す)人の傷にとても敏感で言葉をしっかり選んでくれるところ。いざというときのエネルギーがすごいところ。あとお洋服がいつも全部素敵なところ。
 夕方の回の後半で口火を切ってくれて、そのエネルギーの大きさに、みんなが突き動かされて行った。結婚式のシーン、とても好きです。あとゲロを「キラキラにしてください」と言ってくれてありがとう。キラキラ吐くの楽しかった。本番では殆ど一緒にシーンを作れなかったけれど、稽古で、ギターを弾くシーンを一緒にやってくれたの嬉しかった。本当にありがとう。

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 むらし。今回のショーへのオファーがきっかけで出会った。むらしの好きなところは、まず笑顔。それから、自分の気持ちにめちゃくちゃ誠実なところ。人からの影響を受けやすいところ。好きになった人たちへのリスペクトをちゃんと持ち続けるところ。
 今回のショーでは、じろうちゃんと素敵な飲み会のシーンをしてくれたこと、沢山自分の話をしてくれたこと、とても嬉しかった。夕回で、わたしのシーンをやってくれたときに、ボルダリングしてくれたの嬉しかった。夜回、なぜか沢山一緒にシーンをやれて楽しかった。ありがとう。

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 内海君。実は、稽古が走り出した後、最後にキャスティングされた。今ではコンタクトインプロ仲間になっているけれど、まあ出会った頃は、やはりあんまり好きじゃなかった。付き合いが長いので割愛する。歩く自己啓発書といじられている(主にわたしに)けれど、実際は割とそうでもなくて、人間なんだなとここ半年くらいで少しずつわかってきた。内海君の好きなところは、とにかく誠実であろうとする姿勢。あと甘いものを食べているところが可愛い。歌が好きで、わたしは、内海君とカラオケに行ったのをきっかけに歌が好きになれたりした経緯がある。
 今回のショーでは、夕回でじろうちゃんと二人で歌っているシーンがとても素敵だった。隆雄君と呼ばれるシーンは最高にチャーミングだった。バーフバリの提案をしてくれて本当に嬉しかった。おしょうとふたりで、カップルのシーンも素敵だった。そして、毎回稽古に来てくれただけでえらいのに、全回しっかり参加してくれてありがとう。ことあるごとにわたしの首の健康を守ってくれてありがとう。

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そして、スペシャルミュージシャンのゆがくん。今回は、最後まで見守っていてくれて本当にありがとう。素敵すぎる歌と時間をどうもありがとう。ゆがくんの作るゆるい空気が大好きです。

このショーが、このメンバーでできて、とても幸せだったし、これが最初の一歩になったと信じている。自分が何をしたかったのか忘れそうになったり、信じられなくなったとき、ひとりぼっちになりそうなとき、誰かを傷つけてしまったとき、ひどく傷ついたとき。きっと、この先何度も、昨日のことを思う。キラキラした時間をどうもありがとう。愛しています。

先日インプロ(※1)界隈の友人と話していて、「ラバーズって何するの?」と聞かれた。言葉につまってしまった。わたしは、わたしと大切な友人たちが傷つかないショーを作りたい、ということ以外を言葉にするのが少し辛かった。

もともと、ラバーズを作った始まりは、ザ・ベクデルテスト東京公演(※2)の観客から「LGBT版等もやって欲しい」と言われたことだった。ザ・ベクデルテストのフォーマットは、女性が舞台上で輝くために作られたものなので、同じシステムで「じゃあキャラクター全員LGBTでーす」というわけにはいかなかった(あと、うまく言葉にできないけれどそのやり方だとわたしが傷つくし、疲弊しそうなので全然やりたくなかった)

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少し話が飛ぶけれど、わたしが傷つかずに見られて、登場人物が心地よく愛し合っている創作物として漫画「きのう何食べた」がある。こんな風に、インプロでもできたらいいなと思った。非常に不愉快な話だけれど、インプロのシーン設定で、男性同士に「あなたたちはカップルです」と言ったとき、片方がいわゆる”オネエ”をしたり、ゲイであることが主旨のシーン(ゲイ演じることを見せるシーン、あるいは過度にセクシャルなシーン)になりがちだなあと思っていた。そこにまず愛はなかっただろうし、演じることにも愛はなかったように思う。

そんなの、もう、まじで、終わりにしたい。

わたしの大切な仲間に、当たり前にそのオファー(※3)をすることに恐怖を感じたりしてほしくない。シーンの中で「ゲイだって普通にいるから」とか、絶対に叫ばせたくない。

ともあれ、わたしは「セクマイが普通に出てくるインプロショーやります」という告知は絶対に嫌だった(何人かに、そういう告知をした方がいいと善意のアドヴァイスをもらった)今までそういう物言いにどれだけ傷ついたかわからないし、それは「あなたたちの権利をわたしが認めてあげる」と言われているような不愉快さがある。少なくともわたしは、絶対に嫌だ!!!!

だから、わたしたちがするのは、ただ、愛の話だ。親子、友人、愛し合う人たち、どこにでもいる普通の恋人たち、たぶん隣の部屋にもいるかもしれない人たちの、人生のキラキラした瞬間やなんでもない瞬間をギュッと詰め込んだショーを作りたい。ラバーズのメンバーは、わたしが信頼出来て、一緒に愛のあるシーンを作れる人を集めたつもりだ。ちょっとインプロなのでどうなるのかわからないけど、6月2日は是非ご予定をあけておいてください。

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【※1 インプロ】
予め決められた脚本や設定のない状態で、舞台上にあるアイディアや観客からのアイディアを使ってシーンをつくっていく。即興演劇。
【※2 ザ・ベクデルテスト東京公演】
すごく簡単にまとめると女性が舞台でバイアスに負けずにキャラクターを作りやすいよう作られたインプロのフォーマット。詳しくは東京公演振り返りで( https://froggohome.com/2017/12/4785 )
【※3オファー】
インプロの最中にどんなシーン展開にしたいか、設定にしたいかなどの提案をすること。簡単にいうと「たかし君!」と呼ぶとたいていの場合相手はたかし君になるし、「たかし君!」と呼びながら首に手をまわしキスをすれば「たかし君と○○は恋人同士、、、?」などの設定になったりする。ならなかったりもする。

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2018年3月24日、若葉町ウォーフにて「ザ・ベクデルテスト横浜公演」を行いました。この公演は、21日から23日にかけて、出演者で行われたワークショップ(稽古)を経ての公演でした。松山、東京公演を経て、ザ・ベクデルテストのフォーマット自体をやりやすい形に少しずつ変化させていき、今回はお客様からキャラクターに関わるアイディアをもらうことをやめることにしました。
東京公演後の研究会(江戸川カエル主導)、蔵前で行われた公開ワークショップ(江戸川、下村主導)、横浜公演前のワークショップ(高尾隆主導)、本番昼夜公演で感じたことを書いていきます。時系列がごちゃごちゃになりますが、思い出した順番に書きます。

●演劇は、社会を写す鏡ではなく、鏡を壊すハンマーだ
わたしはずっと、心のどこかで、「実際はこんな時は・・・」と思っていた。だから、男性の上司に「女性を使って仕事をしろ」と罵られるシーンで黙って頷いた。本当は手元の灰皿でそいつをぶん殴ってやりたかった。そういうわたしを見て、どみんごが「演劇は、社会を写す鏡ではなく、鏡を壊すハンマーだ」と言った。確かに、小説だって演劇だって実在しないものが沢山出てきたり、激昂して人を殺しまくったりしているのに、ベクデルテストのこととなると、灰皿も身をひそめてしまっていた。
このワークショップをえて、この言葉をうけて自分の「こうありたい」「こういうものが見たい」を少しずつ信じられるようになった。

●死にたくない、だから死なない
日野さんは、無農薬食品会社の社長の役だった。昔病気をして、身体のことを気使うようになって会社をたちあげた、という設定だった。そんな彼女が医者から病気を宣告される。「こんなに体のことを気遣ってきたのに・・・」
彼女が病気になったとき、プレイヤーの殆どが「この人死ぬな」と思っていたし、みんなそういう流れを作り始めていた。しかし、日野さんは「大丈夫だったの!検査が間違っていたの!」と病気のくだりを全キャンセルしてしまった(インプロ的にはあまりやらないことなので、すごくびびった)
このときのことをアフタートークで話した。日野さんは「身体のことをこんなに気遣って食品会社まで立ち上げた、この人が病気で死んでしまうなんて嫌だったので死なない!!と思った」と語った。日野さんがいなければ、わたしたちは、超頑張ったバリキャリの女性を殺す選択をしていたのだ。その凶器がなんであれ。女性の悲劇を見たくないと、わたしはあんなに言っていたのに!

●”サボテン系女子”
松山公演、東京公演では観客にアイディアを貰いながらキャラクターを作っていった。例えば、職業や趣味、嬉しい瞬間など。貰ったアイディアをもとに作ったキャラクターにはある偏りが生じた。「友達が少なく、恋人がおらず、内向的、趣味はインドアで一人で家で行うもの(ボトルシップ作りやサボテン栽培など)」という偏りだった。運動部出身のキャラクターも、いわゆる”パーティー女子”も出来上がらなかった。それが、わたしたち演じ手の問題だったのか、観客のバイアスによるものなのかはわからない。おそらくどっちも、であったと思う。もしかしたら、モノローグ(※1)から連想されたことなので、誰かと楽しく会話をしている姿をすぐにイメージするのが難しかったのかもしれない。
東京公演後、クローズドで研究会を行った際、この「サボテン系女子」以外のキャラクターを引き出す質問を考える時間を設けた。例えば、高校生であることがモノローグで判明したキャラクターに「この人は何部ですか?」という質問をすると、何故か文芸部や手芸部があがるが、「この人はある運動部にいます、何部ですか?」ときけば、普通に運動部があがった。
また、「この人が会いたい人は誰ですか」という質問よりも、「この人に会いたがっている人がいます、誰ですか?」など、人と関わっている姿が連想される質問の方が内向的なだけのキャラになりにくいね、と思った。「この人が会いたい人は誰ですか」という質問自体が人と関わる前提の質問だとわたしたちは捉えていたが、過去のベクデルテストのリハーサルや本番を通して、有名人や死んだ人の名前があがりやすい傾向を感じていた。

●「女の一生」は悲劇か
横浜公演の事前ワークショップでは、モーパッサン「女の一生」をイメージした稽古が行われた。(もしくは「わが町」とのことだった)イメージとしてとてもわかりやすく強いものだったが、わたしはこの、言葉自体にとても違和感を覚えてしまった。モーパッサンの小説の原題には女性を意味する単語が使われていないのだが、日本語の「女の一生」という言葉の暴力的といえる力強さに引っ張られてしまった。
そして、小説のことを忘れたとしても(あるいは知らなかったとしても?)、なんとなく「女の一生」から想像するのは悲劇であったし、わたしたちが稽古の中で作っていたのはおよそ悲劇と分類されうるようなものだった。悲劇とまではいかなくとも、ネガティブな感情の高まりを見せるようなシーンが多かったように思う。
本番前に、急に悩んでしまったことがある。
わたしがいつも憤っているのは、わたしが、ショーの中で”女性”として消費されるということだった。これからやろうとしているショーが、”女性”としてのわたしたちを消費するものにならないために、どうしたらいいかと思った。わたしが見せたいのは女性の悲劇じゃなかった。わたしは、これから演じる誰かの一生を作りたかった。それが結果として悲劇になったとしても。

●傷つかずに見られるもの
横浜公演のアフタートークで「傷つかずに見ることが出来た」と言ってくれた観客がいた。
この言葉の意味が、わたしにはすぐに理解できた。わたしは、よく傷つく。それは、悲劇的なストーリーや場面によって出来た傷ではなくて、どういうキャラクターとして扱われているかということ、キャラクターがどう扱われいるかということに対してできた傷なのだ。例えば人種、セクシャリティ、職業、身体的な特徴(身長や体型)の扱われ方に傷つくのだ。(最近減ったような気がするが、ゲイはセックス大好きだというキャラとして扱われたり、映画冒頭でいわゆるモブ的な無駄死にをするのは白人ではないことなど)
4年ほど前に見た映画でとても傷ついたことがあった。女性のAV監督が撮影した映画で、セックスワーカーにフォーカスした映画ということで興味があり友人と見に行った。中では実際のセックスワーカー(とされている)何人かへのインタビューと、普通にドラマが進むパートが交互に映し出された。わたしが傷ついたのは、インタビューの編集の陰湿さと、ドラマパートでワーカーが必然性なく殺されて映画が終わったことに対してだった。意図的に、”ワーカーの抱える心の闇”を捏造しているように見えたし、それをファンタジーではなくインタビューで行っているところに、陰湿さを感じた。わたしは知らない、それがリアルだったのかどうか。だけど、100歩譲ってリアルだったとして、彼女らの実際のインタビューあとに、何故、殺したのかわからなかった。ドラマパートの中では、”彼女がセックスワーカーである”こと以外に殺される理由がなかったから。

横浜公演で、わたし自身(また恐らくほかの出演者も)観客を傷つけないという発想はなかったし、今後も傷つけないようにというつもりでやることはないだろう。それは、はかることの出来ないことだし、検閲がかかって苦しいから。
だけど、「傷つかずに見ることが出来た」というのは、わたしにとってとても勇気のでる感想だった。

※1 モノローグ
役者がひとりで舞台にたち、相手役なしで語る、ひとりがたり、独白
(後半へ続く)

過去の公演レポート
松山公演/東京公演