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1993年生まれ。江戸川区出身。写真家、仮面劇俳優、インプロバイザーとして活動中。人物ポートレート、人物スナップを得意とする。

「今何をしようとしていたんだっけ」を思い出せずに、家のなかで立ち止まることがよくある。そうだ、眼鏡を取りに立ったんだった、お茶を飲もうとしたんだった、着替えをまとめに、メールの返事をしようと、布団を干そうと、あの人に連絡しようとしたんだった。
立ち上がり歩いて、何をしようとしていたのか忘れ、思い出そうとすると、やろうとしていことが次々と浮かぶ。見たかった映画の上映時間や、五年も経ってしまったまたご飯行こうねや、爪も切りたいし掃除機もかけたいし、戦うための戦略を練り直さなくてはいけない、ぽっかりと昨年亡くなった人のことを思い出して、そういえば今あの子何してるのかな。

この年末年始は、久しぶりに挨拶回りをやめた。お世話になっている人や店(だいたい飲食店がらみ)をポツポツ回って、来年も今年もどうぞよろしくと一杯で梯子するのをやめた。親族会にも出なかった。小学校の同級生と銭湯にいき、格闘技をみて、クライミングをして、酒を飲んで眠りテレビを見て眠り、ダラダラしていた。あけましておめでとうございますに返事をすることもしなかった。12月31日と地続きの1月1日はクラクラするくらい新鮮だった。ほんとうに、なにもしなくても2019年はやって来た。

わたしはこのことを、長い間知らずに生きていた。迎えなくては新年はやってこないものだと思い込んでいた。あたらしい抱負、あたらしい目標、あたらしいわたし。いつもどこかへ行かなくては、何かをしなくてはと走っていたように思う。

ここ一週間「今何をしようとしていたんだっけ」が思い出せなくても、よいことにしている。そのまま家を出て携帯を忘れたり、ご機嫌伺いの営業電話も忘れてしまう、明日しますのメールの返事が宙ぶらりんになったまま日々過ごしている。要はぼーっとしている。あとでふと思い出して、その時やり直せばいいと、開き直ることにしている。

昨日は、メールが来てないかと携帯を探しに立ち上がって、靴を磨いて満足した。そういう自分のことをずっと知っていたのに、ずっと見ないふりをしてきたように思う。

あたらしい目標もあたらしいわたしもいない、ただしっかり昨日と繋がった今日が過ぎていく。そのことがずっと怖かった。恐れていた事態を、今は心地よく「幸せ」とすら感じられる。明日になったら、もしかしたら、ぽっかりと独立した”新しい1日”を走り始めるかもしれない。でも今は、昨日の続きの今日を生きることができている。