140810
母から不穏な連絡。飛行機の日程が、思っていたのと違う。14日の夕刻に着く飛行機をとったのに、14日の夜中に出るという。おかしい。13日の夜中とばかり思っていたのに。冷や汗をかく。電話か、でもどこに!散々焦ったけれど、ほんとうはあっていた。9時間のフライトを経てなおおつりがくるくらいには時差があったのだ。中島みゆきみたいだ。日付変更線を越えて、あなたは戻ってしまう。曲のタイトルは確か「後悔」この勘違いにより合宿に参加できることになった。後悔せずに済んでほんとうによかった。
1993年生まれ。江戸川区出身。写真家、仮面劇俳優、インプロバイザーとして活動中。人物ポートレート、人物スナップを得意とする。
母から不穏な連絡。飛行機の日程が、思っていたのと違う。14日の夕刻に着く飛行機をとったのに、14日の夜中に出るという。おかしい。13日の夜中とばかり思っていたのに。冷や汗をかく。電話か、でもどこに!散々焦ったけれど、ほんとうはあっていた。9時間のフライトを経てなおおつりがくるくらいには時差があったのだ。中島みゆきみたいだ。日付変更線を越えて、あなたは戻ってしまう。曲のタイトルは確か「後悔」この勘違いにより合宿に参加できることになった。後悔せずに済んでほんとうによかった。
美容院に行ったら、”素材を生かした髪型”にされた。”素材をいかしてみました”と言われたのだ。生かされてもらっては困る、殺してくれ。出来上がりの鏡をみて「ちょっとダサいな」とか「イモいな」とか「デブだな」と思ってもそれは”素材を生かした”結果なのでぐうの音もでない。ぐう。そんな便利な言葉使ってくれるな。第一、”素材を~”というのは、当の素材が厳選された国産有機栽培なんちゃらなときに使う手法であって、東京東部の一般家庭に産まれ高校時代を千葉のイモい男子校でドブに囲まれて過ごしたわたしに見合うものではない。そのドブ臭さをなんとかしてもらおうと背伸びして美容院にいくわけで、素材がよければ床屋で済ますやい!石を蹴り蹴り家に帰った。
心の中にお母さんを飼っている。ひとりぐらしを始めて26ヶ月、掃除の苦手なわたしが小奇麗な家を常に保てていることが不思議だった。実家にいると掃除機もかけなければ洗濯もしない。パンツは脱ぎ捨てるし、マグカップは洗わない。気が付けば、服を拾う母がいる。国分寺にて、朝起きてはじめにすることは、布団から玄関まで点々と落ちている服を拾うこと。カップを洗い、サッシの埃を拭って3日に一度はシンクを磨く。拾うのならば脱ぎ散らかさなければいいものを、それは出来ない。「ああ、またこんなにちらかして」たまに独り言が漏れる。昨夜のわたしは聞かん坊、夜遅くまで飲んじゃって仕方がないわねえ。朝になるとお母さんが出てくる。こうして毎朝綺麗になる。トイレに神様がいるかどうかは微妙だけれど、磨くわたしは母の心。心の中にお母さんを飼っている。二年を過ぎてようやく気付いた。
昨晩カイルとこうだい、もちおに会った。みんな髪型やら表情やらが変わっていてなかなか気付けなかった。人の顔を見なくても言葉が聞き取れて、会話に参加できる久しぶりの心地よさ。朝からパンケーキを食べてそうめんを食べてトドメのパナスでお腹を壊した。国分寺の夜は暑くて2時間おきに目が覚める。蝉の声がこだまして、寝苦しさも愛しい。
チェリーレッドにお土産を持って行った。とうとう現地で食べなかったTwizzlerを買っていったのだ。大袋すぎて怖いので開けてもらおうという算段だった。「まずくはないんだけれど決して美味しくはない」「食べられないギリギリのラインをせめている」と大好評をいただく。ルースムースでは、これをビールのお供に食べていた。信じられない。実はまだあと2袋あり、これをどうしようかと今考えている。
日本に帰ってきて最初に食べたのはきゅうりだった。日本に帰ってきて、身長が少し伸びた気がする。みんな大きかったんだ。湿度、騒音、日照、街ゆく人の量、やっと帰ってきました。
機内アナウンスは英語かフランス語だった。離陸までに3時間もかかったけれど、理由はうまく聞き取れない。なんだか雲行きの怪しい離陸を経てしばらく、熱すぎる機内に子供が泣き出す。英語、フランス語のアナウンスのあと、きわめて軽快に「当機は成田までの飛行が不可能となったため、バンクーバーに臨時着陸いたします」はじめて日本語アナウンスが入った。「快適な空の旅をお楽しみください♪」と同じ明るさで言われてしまっては、はあそうですかと納得するしかなく、バンクーバーで4時間以上も待った。バンクーバーの搭乗口にて。「代替機に乗りきれない人が11人いる、こちらでホテルは手配するし800ドルの詫び金を出すので誰か明日の便でもいいという人はいないか」800ドルに目がくらみ、慌てて列に並ぶ。走った甲斐ありちょうどわたしで11人、これで800ドルだ!と小躍りしていたら前の男の子が「僕たち6人組です、それから800ドルはいりません、緊急時は助け合わなきゃ」なんて言い出した。欲に目がくらんだ自分のあまりの恥ずかしさに、小躍りのポーズのままでそそくさと逃げ出す。結局予定より8時間近く遅れて成田に帰った。日本語がまだぎこちなかった。
宿泊していたレジデンスのフロントドアにはAUTOMATIC”CAUTION”と書かれている。わたしひとりでいると、自動で開いたためしがなかった。なににCAUTIONすればいいのか。最初は壊れているのかと思っていたけれど、同居人のMegsやJoelと一緒にいるとグアーー!とドアが開く。人数の問題かしらとひとりで先に出て(もちろんドアは自力であけた)Megsが出てくるのを待っていたら、グアー!・・・・・人を馬鹿にしているとしか思えないドアだ。ところが、最後の2日というところにきて突然ドアが開くようになった。やっと人間認定してくれたのか、カナダへの愛が通じたのか、因縁の対決に決着がついた。
朝食は施設内のDenniesというアメリカンな店でとっていた。何故か朝食券を100枚以上持っているMegsのおかげで、パンケーキやらマフィンやらフレンチトーストやら、朝ごはんの油/小麦粉/砂糖はタダだ。ただし殆どのメニューが美味しくない。4日に一度のパンケーキの日を楽しみに生きていた。パンケーキが朝ごはんだと一日元気だ。「一緒に食べられる最後の朝食は、パンケーキだといいね」と話していたけれど、朝ごはんはマフィンだった。なあんだ、がっかり、と笑っていたら、Megsがパンケーキをオーダーしてくれた。20日以上の滞在を経て、Denniesのお姉さんとすっかりマブダチのMegsのおかげで念願かなう。パンケーキを食べた。なんやらマフィンもつけてもらった。パンケーキ3枚と、マフィンを食べてお腹がいっぱいになる。最後の朝ごはんを食べながら、次に会えたときにしたいことを二人で数えた。