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1993年生まれ。江戸川区出身。写真家、仮面劇俳優、インプロバイザーとして活動中。人物ポートレート、人物スナップを得意とする。

Posts tagged #The Bechdel Test

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2018年3月24日、若葉町ウォーフにて「ザ・ベクデルテスト横浜公演」を行いました。この公演は、21日から23日にかけて、出演者で行われたワークショップ(稽古)を経ての公演でした。松山、東京公演を経て、ザ・ベクデルテストのフォーマット自体をやりやすい形に少しずつ変化させていき、今回はお客様からキャラクターに関わるアイディアをもらうことをやめることにしました。
東京公演後の研究会(江戸川カエル主導)、蔵前で行われた公開ワークショップ(江戸川、下村主導)、横浜公演前のワークショップ(高尾隆主導)、本番昼夜公演で感じたことを書いていきます。時系列がごちゃごちゃになりますが、思い出した順番に書きます。

●演劇は、社会を写す鏡ではなく、鏡を壊すハンマーだ
わたしはずっと、心のどこかで、「実際はこんな時は・・・」と思っていた。だから、男性の上司に「女性を使って仕事をしろ」と罵られるシーンで黙って頷いた。本当は手元の灰皿でそいつをぶん殴ってやりたかった。そういうわたしを見て、どみんごが「演劇は、社会を写す鏡ではなく、鏡を壊すハンマーだ」と言った。確かに、小説だって演劇だって実在しないものが沢山出てきたり、激昂して人を殺しまくったりしているのに、ベクデルテストのこととなると、灰皿も身をひそめてしまっていた。
このワークショップをえて、この言葉をうけて自分の「こうありたい」「こういうものが見たい」を少しずつ信じられるようになった。

●死にたくない、だから死なない
日野さんは、無農薬食品会社の社長の役だった。昔病気をして、身体のことを気使うようになって会社をたちあげた、という設定だった。そんな彼女が医者から病気を宣告される。「こんなに体のことを気遣ってきたのに・・・」
彼女が病気になったとき、プレイヤーの殆どが「この人死ぬな」と思っていたし、みんなそういう流れを作り始めていた。しかし、日野さんは「大丈夫だったの!検査が間違っていたの!」と病気のくだりを全キャンセルしてしまった(インプロ的にはあまりやらないことなので、すごくびびった)
このときのことをアフタートークで話した。日野さんは「身体のことをこんなに気遣って食品会社まで立ち上げた、この人が病気で死んでしまうなんて嫌だったので死なない!!と思った」と語った。日野さんがいなければ、わたしたちは、超頑張ったバリキャリの女性を殺す選択をしていたのだ。その凶器がなんであれ。女性の悲劇を見たくないと、わたしはあんなに言っていたのに!

●”サボテン系女子”
松山公演、東京公演では観客にアイディアを貰いながらキャラクターを作っていった。例えば、職業や趣味、嬉しい瞬間など。貰ったアイディアをもとに作ったキャラクターにはある偏りが生じた。「友達が少なく、恋人がおらず、内向的、趣味はインドアで一人で家で行うもの(ボトルシップ作りやサボテン栽培など)」という偏りだった。運動部出身のキャラクターも、いわゆる”パーティー女子”も出来上がらなかった。それが、わたしたち演じ手の問題だったのか、観客のバイアスによるものなのかはわからない。おそらくどっちも、であったと思う。もしかしたら、モノローグ(※1)から連想されたことなので、誰かと楽しく会話をしている姿をすぐにイメージするのが難しかったのかもしれない。
東京公演後、クローズドで研究会を行った際、この「サボテン系女子」以外のキャラクターを引き出す質問を考える時間を設けた。例えば、高校生であることがモノローグで判明したキャラクターに「この人は何部ですか?」という質問をすると、何故か文芸部や手芸部があがるが、「この人はある運動部にいます、何部ですか?」ときけば、普通に運動部があがった。
また、「この人が会いたい人は誰ですか」という質問よりも、「この人に会いたがっている人がいます、誰ですか?」など、人と関わっている姿が連想される質問の方が内向的なだけのキャラになりにくいね、と思った。「この人が会いたい人は誰ですか」という質問自体が人と関わる前提の質問だとわたしたちは捉えていたが、過去のベクデルテストのリハーサルや本番を通して、有名人や死んだ人の名前があがりやすい傾向を感じていた。

●「女の一生」は悲劇か
横浜公演の事前ワークショップでは、モーパッサン「女の一生」をイメージした稽古が行われた。(もしくは「わが町」とのことだった)イメージとしてとてもわかりやすく強いものだったが、わたしはこの、言葉自体にとても違和感を覚えてしまった。モーパッサンの小説の原題には女性を意味する単語が使われていないのだが、日本語の「女の一生」という言葉の暴力的といえる力強さに引っ張られてしまった。
そして、小説のことを忘れたとしても(あるいは知らなかったとしても?)、なんとなく「女の一生」から想像するのは悲劇であったし、わたしたちが稽古の中で作っていたのはおよそ悲劇と分類されうるようなものだった。悲劇とまではいかなくとも、ネガティブな感情の高まりを見せるようなシーンが多かったように思う。
本番前に、急に悩んでしまったことがある。
わたしがいつも憤っているのは、わたしが、ショーの中で”女性”として消費されるということだった。これからやろうとしているショーが、”女性”としてのわたしたちを消費するものにならないために、どうしたらいいかと思った。わたしが見せたいのは女性の悲劇じゃなかった。わたしは、これから演じる誰かの一生を作りたかった。それが結果として悲劇になったとしても。

●傷つかずに見られるもの
横浜公演のアフタートークで「傷つかずに見ることが出来た」と言ってくれた観客がいた。
この言葉の意味が、わたしにはすぐに理解できた。わたしは、よく傷つく。それは、悲劇的なストーリーや場面によって出来た傷ではなくて、どういうキャラクターとして扱われているかということ、キャラクターがどう扱われいるかということに対してできた傷なのだ。例えば人種、セクシャリティ、職業、身体的な特徴(身長や体型)の扱われ方に傷つくのだ。(最近減ったような気がするが、ゲイはセックス大好きだというキャラとして扱われたり、映画冒頭でいわゆるモブ的な無駄死にをするのは白人ではないことなど)
4年ほど前に見た映画でとても傷ついたことがあった。女性のAV監督が撮影した映画で、セックスワーカーにフォーカスした映画ということで興味があり友人と見に行った。中では実際のセックスワーカー(とされている)何人かへのインタビューと、普通にドラマが進むパートが交互に映し出された。わたしが傷ついたのは、インタビューの編集の陰湿さと、ドラマパートでワーカーが必然性なく殺されて映画が終わったことに対してだった。意図的に、”ワーカーの抱える心の闇”を捏造しているように見えたし、それをファンタジーではなくインタビューで行っているところに、陰湿さを感じた。わたしは知らない、それがリアルだったのかどうか。だけど、100歩譲ってリアルだったとして、彼女らの実際のインタビューあとに、何故、殺したのかわからなかった。ドラマパートの中では、”彼女がセックスワーカーである”こと以外に殺される理由がなかったから。

横浜公演で、わたし自身(また恐らくほかの出演者も)観客を傷つけないという発想はなかったし、今後も傷つけないようにというつもりでやることはないだろう。それは、はかることの出来ないことだし、検閲がかかって苦しいから。
だけど、「傷つかずに見ることが出来た」というのは、わたしにとってとても勇気のでる感想だった。

※1 モノローグ
役者がひとりで舞台にたち、相手役なしで語る、ひとりがたり、独白
(後半へ続く)

過去の公演レポート
松山公演/東京公演

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2018年4月25日、蔵前4273にて「ザ・ベクデルテストのためのワークショップ」を行いました。

ワークショップでは、軽いウォーミングアップから始め、ベクデルテストの本編を実際に体験してもらいました。

―やったこと―
名前を言うゲーム
ポートキー(「といえば」「○○の時代に連れて行きます」)
ベクデルテスト本編
ステータス
侮辱ゲーム
アフタートーク

本編を進めるうえで、必要だったゲームをいくつか途中ではさみました。
今回のワークショップを得て、わたしが感じたことをあげていきます。
●”OL”の呪い
モノローグを終えた47歳の中川みきさんに職業と年齢を尋ねると、「47歳、旅行会社でOLをしています」と答えた。その後、参加者と一緒に、みきさんが働いている様子を想像してみた。中川さんは会社の中でどんな立ち位置で、どんな仕事をしているのだろうか。
嘱託、派遣の事務、企画部のボス、店舗のトップ。47歳で、仕事をしていれば、企画部のボスになっていてもおかしくない。だけどわたしは、このチョイスをごく意図的に行った。何故なら、なんとなく「旅行会社でOLをしています」という言葉から自然に、企画部のボスを連想することは難しかった。OLという言葉は死語になりつつある(し、そうであってほしい)オフィスレディという響きからは、なんとなく単純事務作業やお茶汲みをする姿が連想される。
横浜公演を経て、それが今までの普通であろうがなかろうが、ありたい世界を描くことを志向すると決めることが出来たので、今回は中川みきさんに素敵なボスをやってもらった。アフタートークでは参加者から「親の世話をしながら働く女性に対して、なんとなく低い地位を連想してしまったけれど、これが自分のバイアスだと思った」という言葉が出た。実は、その想像はわたしにとっても自然なものであった。今回のワークショップファシリテーションでは、”自然であること”と”あってほしい世界”であることを自分の中で区別して、徹底的に後者を選んでいきたいと思って臨んだ。

●「ヒール」をやるのも楽じゃない
今回は日常的にインプロをしている、男性インプロバイザーの参加者が多く、わたしには想像もつかなかった意見をもらった。
「女性がやり返してくれると思えば、安心してヒールをやることができる」
確かに、今までのインプロショーで、女性と男性のシーンで、男性がヒールに徹するシーンは少ない。何故なら、お客さんは、「女性インプロバイザーが言い返せないのに、いじめをしていると受け取るんじゃないか」とか、とにかくひたすら、見ている人も演じている人も嫌な気分になるシーンになってしまう恐怖があったからだ。
このことで、ふと思いついたことがあった。既存映画の中の、スーパーハイステータスな女性主人公は、ヒーロー以外の型がある。サンセット大通りや、ヘルタースケルターなど、しばしば半ば怪物として描かれている。時には男を食らい、殺す。フランケンシュタインや男性を怪物として捉えた映画では、怪物たちのステータスは決して高くないのに、なぜだろうと思っていた。その理由はここにあるのかもしれないと思った。ハイステータスな女性が男性を嬲るところはファンタジーとして消化できても、その逆は不愉快で見ていられないから(少なくとも簡単には女性の目に触れない場所でしか)作られていないのかもしれない。(あと、怪物的な女性が女性を貶める理由は今までいつだって男のことばかりだったなとも思う)(このことはもう少しゆっくり考える)

●女性に対するステータス
男性インプロバイザーからの振り返りで、「女性といるとき僕はステータスを下げることが出来るけれど、あげてなきゃいけないと思っていたり、下げられない人も多いかも」という衝撃の意見を貰った。

※わたしのためのおぼえがき
「ヒール」からの流れで、女性と男性のシーンで、女性が怪物化せずにステータスをあげるためには、現状バーフバリゲーム2が必要不可欠だと思った。
ステータスワークはもう少し丁寧に説明しよう
コンタクトインプロの後で背中がとても柔らかかったので、わたしの声がよく出ていてとても気持ちよかった

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3人の女性の物語を即興で演じるショーです。
終演後アフタートークを行います。

物語におけるジェンダーバイアスについて、あるいは
身の回りでごく当たり前に起こっている出来事について考えます。

日時:2018年3月24日(土)14:00〜、17:00〜
場所:WAKABACHO WHARF 若葉町ウォーフ
料金:2000円
予約:下記フォームよりご予約ください。

https://www.quartet-online.net/ticket/thebechdeltest

出演:
江戸川カエル
下村理愛
直井玲子
方瀬りっか
松延弥生
鎌田麻衣子
内海隆雄
野村真之介
高尾隆

【The Bechdel Testとは】
映画のジェンダーバイアスを考えるのに「ベクデルテスト」というものがある。

①名前がついている女性が2人以上登場するか?
②その女性同士が会話をするシーンがあるか?
③その会話の内容は、男についての話以外であるか?

アリソン・ベクデルの漫画に出てきたキャラクターが「これをパスする映画しか見ない!」と話している場面から「ベクデルテスト」と名付けられた。たった三つの簡単な条件だが、このテストをパスする映画は多くはない。インプロの舞台でも同様に、このテストをパスできる公演は多くはない。インプロでは、実社会よりもステレオタイプなキャラクターづくりに陥りやすいという性質上、「医者」や「先生」と聞こえれば袖で男性がスタンバイをする。そこで女性が出てくると、生徒や患者と恋に落ちるシーンになる。男性との間で上司役になったりすると、聞こえないふりされたり、陥れられたり、殺されたりする。

The Bechdel Testとは、ベクデルテストをパスするインプロを作るべく、BATSのリサ・ローランドが生み出した新しいインプロフォーマットのことだ。このフォーマットでは、3人の女性主人公が出てくる。その3人の人生のスナップショットを追っていくことができる。終演後にはアフタートークがあり、観客とプレイヤーが感じたことや思ったことを話す時間が設けられる。

12月13日、東京都墨田区キラキラ会館和光会館にて、The Bechdel Test 東京初演に出演しました。

(ザ・ベクデルテストの説明は、文末につけたのでわからない方は先に読むことをお勧めします)
今回はMC、サポートとして出演しました。
公演後考えたことや、稽古中に考えたことなど時系列がごちゃごちゃになっていますが、そのまま書きます。

●そこにいるのは”恋愛をしていない”人なのか
本番前のリハーサルで、わたしたちはベクデルテストをパスできなかった。厳密にいえば、まったくパスできなかったわけではないが、終盤で、1人の男をめぐる2人の女性のはなしになってしまった。
本番終演後の振り返りで、他の人のシーンで恋愛をしていると、引っ張られて恋愛してしまう、もしくは「恋愛をしていない人」でいてしまう、という話がでた。これは女性に限らず男性プレーヤーも感じた、とのことだった。
プレーヤーとしての実感では、すごく共感できる。でも、同時に不思議に思った。わたしが写真に没頭しているとき、踊りに没頭しているとき、インプロをしているとき、わたしは確かに恋愛をしていない。だけどわたしはそういう時わたしは、”恋愛をしていない人”ではなく、”写真に没頭している人”だ。だって、自分では”恋愛をしていない”なんて考えもしないから。
先日『海賊とよばれた男』(2016,日本)をみた。出光の創業者の伝記映画で、登場人物たちは石油を輸入し会社を大きくすること、日本をよくすることに燃えていた。仕事に没頭している最中、彼らはそういう自分に悩むことがない。ただひたすら、仕事のための次の一手を考えていて、彼らの葛藤は、会社の実力と理想の間にあった。そして、葛藤がそれだけであるということに、映画としては違和感がなかったようにわたしは思う。もちろん、実際の人間はたぶんもっと繊細に出来ているので、もっとくよくよしたりもしたし、妻のことを考えた時間もあったのではないか、と思った。だけど、リアルでないことと、物語として違和感がないことは別のことのように思う。仮にこれが女性主人公の物語であれば、ものすごい違和感があるのではないか。仮に女性版の仕事映画ができたとしたら、彼女は恋にも悩むだろうし、”女性として仕事を続けていくこと”にも悩むはずだ。それを抜いた映画は違和感でいっぱいになるように思う。
仕事映画の女性版を考えた時に真っ先に浮かんだのは『プラダを着た悪魔』(2006,アメリカ)だった。確かに、メリルストリープは仕事に情熱と愛をもった人物であったが、同時に映画後半で”家庭を犠牲にした人”として描かれていた。そしてそのことに葛藤をもっていた。彼女は”仕事に愛をもった人”ではなく”家庭を犠牲にして仕事に愛を向けた人”なのだ。
『海賊とよばれた男』の男たちは、たぶんメリルストリープばりに働いていたし、家に何日も帰らない描写も見られた。それはむしろ美談として描かれていたように思う。だけど、メリルストリープは”家庭を犠牲にした人”だし、アンハサウェイは”恋愛をしていない人”なのだ。
わたしたちがシーンのなかで”恋愛をしていない人”になってしまうのは、もしかしたら、既存の女性が主人公の映画や物語では、”恋愛をしていない”という見方をあまりにされがちだからかもしれない。

●子どもになる理由
ザ・ベクデルテストにおいて、わたしは子供の役を選びがちな傾向にあった。傾向にあるというか、松山での稽古も含めた全5回、子どものシーンをひとつはやっている。本番でも、みゆきの幼少期の友人として出た。今回、その理由のひとつかもしれないことに思い当たった。
東京初演ではあまりに優秀なストーリーテラーが揃った稽古のなかで「ストーリーを作ろうとしない稽古」をした。稽古の帰り道、考えたことがある。もしストーリーを作ったらどうなるか。
もちろん、これは男性主人公の物語でも言えることだけれど、人物がストーリーの奴隷になってしまう。実際の感情や機微はともかく、前に進むために葛藤を無視したり、実際の人生でもよくあるような日常の一場面を作らなくなる。
そういったことの他に、こと、ザ・ベクデルテストにおいては、ストーリを作ろうとするとベクデルテストをパスし辛くなる、ということがあるのかもしれない、と思った。女性主体の物語で、ミュージカルやオペラに見られるボーイミーツガール以外のものだと、パッと思いつくのは『秘密の花園』(1911,アメリカ)などのビルドゥングスロマンだった。日本で言えば『西の魔女が死んだ』(1994,日本)など。
「名前のついた女性ふたりで会話をし」「かつ男のはなしではない」シーンとして、これらの小説の印象がわたしのなかでとても大きかったことに気が付いた。もしかしたら、わたしがすぐに子どもとして入ってしまうのは、ベクデルテストをパスする方法として、これが一番有効だと思っていたからかもしれない。
逆に言えば、そうしなければパスできないと、どこかで思っている部分もあるのかもしれない。大人のわたしは、今でも、女友達と夢の話をしているのに。次回以降このことにチャレンジしたいと思った。

●想像すること
今回は稽古で、モノローグで名前をつけたあと、一度、その女性がどこで笑っているか、どこでステータスが高いか、どこで虐げられるのか、など、その人のことを想像する時間を作った。これが楽しくもとても難しいと感じた。わたしには想像できなかった。神棚をもつ女性がどこでどんな風に笑うのか、何を幸せと感じるのか。なんとなく一度、カルトで根暗なイメージを持ってしまった人に対して、そういう想像をするのはすごく難しかった。
今回の公演をおえて、わたしたちはインタビューの必要性を感じた。もっと沢山、聞いてみたいと思った。あなたがどこで笑うのか、泣くのか。そういうことを考えること自体に、まだあまり慣れていなかったし、考えるための引き出しが少なすぎるように思えた。どんな女性にも、ほんとうはもっとあるはずだ。”恋愛をしていない人”でも”母親として”でもない瞬間が。そういう瞬間をもっと、もっと知りたいし、光を当てていきたい。

【ザ・ベクデルテストとは】
映画のジェンダーバイアスを考えるのに「ベクデルテスト」というものがある。

①名前がついている女性が2人以上登場するか?
②その女性同士が会話をするシーンがあるか?
③その会話の内容は、男についての話以外であるか?

アリソン・ベクデルの漫画に出てきたキャラクターが「これをパスする映画しか見ない!」と話している場面から「ベクデルテスト」と名付けられた。たった三つの簡単な条件だが、このテストをパスする映画は多くはない。インプロの舞台でも同様に、このテストをパスできる公演は多くはない。インプロでは、実社会よりもステレオタイプなキャラクターづくりに陥りやすいという性質上、「医者」や「先生」と聞こえれば袖で男性がスタンバイをする。そこで女性が出てくると、生徒や患者と恋に落ちるシーンになる。男性との間で上司役になったりすると、聞こえないふりされたり、陥れられたり、殺されたりする。

ザ・ベクデルテストとは、ベクデルテストをパスするインプロを作るべく、BATSのリサ・ローランドが生み出した新しいインプロフォーマットのことだ。このフォーマットでは、3人の女性主人公が出てくる。その3人の人生のスナップショットを追っていくことができる。終演後にはアフタートークがあり、観客とプレイヤーが感じたことや思ったことを話す時間が設けられる。
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下町の商店街で、女性についてのささやかな演劇をします。
少しのことでも、自分が心から意味があると思えることをしたいなと思って生きています。

3人の女性の物語を即興で演じるショーです。
終演後アフタートークを行います。

物語におけるジェンダーバイアスについて、あるいは
身の回りでごく当たり前に起こっている出来事について考えます。

▼公演日程
日程:2017年12月13日
   開場18:30 開演19:00~(1時間程度)
場所:墨田区キラキラ橘商店街内 キラキラ会館(東京都墨田区京島3丁目52−8)
料金:無料

▼キャスト(順不同)
大川原脩平
下村理愛
江戸川カエル
マイキー(東京コメディストア:D)
内海隆雄(第三インプロ研究室)
黒田愛美(INNERSPACE)
戸草内淳基(Platform)
石巻遥菜(Platform)

【The Bechdel Testとは】
映画のジェンダーバイアスを考えるのに「ベクデルテスト」というものがある。

①名前がついている女性が2人以上登場するか?
②その女性同士が会話をするシーンがあるか?
③その会話の内容は、男についての話以外であるか?

アリソン・ベクデルの漫画に出てきたキャラクターが「これをパスする映画しか見ない!」と話している場面から「ベクデルテスト」と名付けられた。たった三つの簡単な条件だが、このテストをパスする映画は多くはない。インプロの舞台でも同様に、このテストをパスできる公演は多くはない。インプロでは、実社会よりもステレオタイプなキャラクターづくりに陥りやすいという性質上、「医者」や「先生」と聞こえれば袖で男性がスタンバイをする。そこで女性が出てくると、生徒や患者と恋に落ちるシーンになる。男性との間で上司役になったりすると、聞こえないふりされたり、陥れられたり、殺されたりする。

The Bechdel Testとは、ベクデルテストをパスするインプロを作るべく、BATSのリサ・ローランドが生み出した新しいインプロフォーマットのことだ。このフォーマットでは、3人の女性主人公が出てくる。その3人の人生のスナップショットを追っていくことができる。終演後にはアフタートークがあり、観客とプレイヤーが感じたことや思ったことを話す時間が設けられる。

11月5日、愛媛県松山市和光会館にて、The Bechdel Test 日本初演に出演しました。

(ベクデルテストの説明は、文末につけたのでわからない方は先に読むことをお勧めします)
今回の公演を終えて、自分に起こったことを書いていきます。
終わって、信頼のおける仲間たちと話をしてから気が付けたこともありました。その時系列がごちゃごちゃになっていますが、そのまま書きます。

●はじまるまえ、わたしはとてもネガティブだった
これは、終演後うつみ君が教えてくれた。「うまくできるだろうか」「これをやってしまわないか」「こんなに不安だ」フォーマットの確認段階で、わたしは信じられないくらいネガティブだった。
実は、自分でも薄々感づいてはいた。あ、ネガティブだなあ、不安でいっぱいだ。始めて取り組む、ということに対しての不安、以上に大きな不安に襲われていた。その理由はあとで考えて気が付いた。ベクデルテストを上演することで、何か、女性として、社会と闘わなくてはいけないような気持を背負っていたからだった。

●女同士の会話のシーンを演じることがとても怖い
女ふたりでシーンを作るとき、ただの飲み会とか、そういうシーンを作るのがとても怖い。男性同士の飲み会のシーンを見ても「ああ!停滞してる!なんとかしなきゃ!」とは感じない。だけど、わたしは女性プレーヤーと舞台に立って、乾杯をしたらもう怖い。何かしなきゃいけないと思う。乾杯が終わっただけでシーンが停滞していると感じる。そこで、二人の人間が、会話をしているだけでいいのに!わかっていてもまだ怖い。
だからわたしは今回焦って、焦りまくって、シーンに割り込んでしまった。本当は、そこでも会話は起きていて、しっかり、名前のついた女性が、自分の話をしていたのに、わたしの脳は勝手にそれを「ゼロ」とカウントしていた。

●わたしは宇宙工学研究をする女、ではなく、「柄本そら:宇宙工学研究員」でいられたか
今回はじめて宇宙工学研究員という職業の役を演じることができた。たぶん、普通のインプロで女性として舞台に立ったときに、職業を聞かれて「宇宙工学研究員です」とは咄嗟に言えない。保育士です、とか、主婦です、とか事務員です、とかありそうなことを言ってしまう。だからこの役が、男役としてでなくできたことはすごく嬉しかった。
このフォーマットでは、最初に名前をもらうことができる。わたしがもらったのは「宇宙大好きな、柄本そら」だった。最初の3分、わたしはただ、柄本そら、だった。だけど中盤で宇宙工学研究をしている設定がつき、宇宙工学研究員の柄本そら、になった。
終演後考えたことがある。わたしは宇宙工学研究員になったあとも、柄本そらでいられただろうか。わたしは途中から、わざと、「宇宙大好きな痛い女」にキャラを寄せてはいなかっただろうか。それはわたしの演技技術やインプロバイザーとしての器量ももちろん問題だけれど、それ以上に、柄本そら、でいることを自分で手放しはしなかっただろうか。

●わたしがベクデルテストを続けたい理由
正直に言って、わたしは実生活の中でも、インプロの舞台上でも、女であることを売りにしている。そのことだけを売りにしているわけではないが、そういう部分が絶対にある。わたしはたぶん「そこそこうまくやってる」。誰かと関わるときに、江戸川カエルとしてではなく、名前のない女として関わって来た時間がある。そのことがもたらした得がある。舞台上で名前のない女を何度も演じてきたし、そういう立ち回りのできることでやっぱり得をしたこともあった。
はじめから、できたわけじゃなかった。悔しくて泣いたり怒ったりもしたし、一時期は戦おうともした。「戦う」という気概だけで暴れまくってまわりを傷つけて、あまりうまくいかなかった。はじめからもう怒ってしまっていたから。だけど、わたしは気付いたら苦しくも辛くもなくなってしまっていた。慣れてしまっていた。怒っている女の人を見ても、もう、「そうだそうだ!」とは言えなくなった。心の中で「わたしのかわりに怒ってくれてありがとう」と思っていた。だってわたしはもう怒れない、そんな元気ないし、疲れたし。やっても無駄だし痛いフェミ女だって思われたくないし。怒っても何も変わらないのはわかっているけれど、怒らないよりマシだとはちゃんと思っていて、だけど、ほかの方法もわからなかった。
ベクデルテストでは、わたしは怒らなくてすむ。女を捨てなくてすむ。女を売りにしてきた自分を否定しなくてもすむ。戦わなくてすむ。だから誰かをひどく攻撃しなくてすむ。ただ、自分がまた、名前を失っているということに気づき続けることができる。それから見ている人も、もしかしたらそのことに気づいてくれるかもしれない。
この方法でなら、ゆっくり、わたし自身が、ジェンダーのことと向き合い続けられる。そう思った。だから、今後も続けていきたいと思えた。

【The Bechdel Testとは】
映画のジェンダーバイアスを考えるのに「ベクデルテスト」というものがある。
①名前がついている女性が2人以上登場するか?
②その女性同士が会話をするシーンがあるか?
③その会話の内容は、男についての話以外であるか?
アリソン・ベクデルの漫画に出てきたキャラクターが「これをパスする映画しか見ない!」と話している場面から「ベクデルテスト」と名付けられた。たった三つの簡単な条件だが、このテストをパスする映画は多くはない。インプロの舞台でも同様に、このテストをパスできる公演は多くはない。インプロでは、実社会よりもステレオタイプなキャラクターづくりに陥りやすいという性質上、「医者」や「先生」と聞こえれば袖で男性がスタンバイをする。そこで女性が出てくると、生徒や患者と恋に落ちるシーンになる。男性との間で上司役になったりすると、聞こえないふりされたり、陥れられたり、殺されたりする。
The Bechdel Testとは、ベクデルテストをパスするインプロを作るべく、BATSのリサ・ローランドが生み出した新しいインプロフォーマットのことだ。このフォーマットでは、3人の女性主人公が出てくる。その3人の人生のスナップショットを追っていくことができる。終演後にはアフタートークがあり、観客とプレイヤーが感じたことや思ったことを話す時間が設けられる。