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1993年生まれ。江戸川区出身。写真家、仮面劇俳優、インプロバイザーとして活動中。人物ポートレート、人物スナップを得意とする。

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2019年 5月18日、6月22日、7月20日、8月24日
時間:18:00~20:30
場所:葛西駅周辺(場所は来る人に直接お知らせ)
料金:初回2500円、2回目以降2000円(学生1500円)

各回完結なので、いつでも、一回だけでも参加できます。

ご予約:当ホームページのお問い合わせフォームより承ります

ザ・ベクデルテストとは

映画のジェンダーバイアスを考えるのに「ベクデルテスト」というものがあります。

①名前がついている女性が2人以上登場するか?
②その女性同士が会話をするシーンがあるか?
③その会話の内容は、男についての話以外であるか?
アリソン・ベクデルの漫画に出てきたキャラクターが「これをパスする映画しか見ない!」と話している場面から「ベクデルテスト」と名付けられました。たった三つの簡単な条件ですが、このテストをパスする映画は多くはありません。インプロの舞台でも同様に、このテストをパスできる公演は多くはありません。インプロでは、ステレオタイプなキャラクターづくりに陥りやすいという性質上、「医者」や「先生」と聞こえれば袖で男性がスタンバイをする。そこで女性が出てくると、生徒や患者と恋に落ちるシーンになる。男性との間で上司役になったりすると、聞こえないふりされたり、陥れられたり、殺されたりします。

ザ・ベクデルテストとは、ベクデルテストをパスするインプロを作るべく、BATSのリサ・ローランドが生み出した新しいインプロフォーマットのことです。このフォーマットでは、3人の女性主人公が出てきます。その3人の人生のスナップショットを追っていきます。終演後にはアフタートークがあり、観客とプレイヤーが感じたことや思ったことを話す時間が設けられます。
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何をやるの?

実際にやるかもしれないゲームを少し紹介します。
●ポートキー
単語を聞いて、思い出した話をしてもらいます。
誰かの話しているエピソードを聞いて思い出したことを他の人が話します。
 A:鍵といえば、小さい頃鍵を失くして家に入れなくて道端で座って待っていた時に~
 B:道端といえば、先日道端にアイスクリームが落ちていて~
 C:アイスクリームといえば

●次どうなるの?
2人組でお話をつくるゲームです。
 A:次どうなるの?
 B:海に行きます
 A:次どうなるの?
 B:海に入ります
 A:次どうなるの?
 B:サメに食べられます
 A:Non!
 B:次どうなるの?
 A:サメに乗ります

●ミラーリング
映画や、物語の中で女性がよくやっていること、男性がよくやっていることをあげて、ジェンダーチェンジしてシーンを作っていきます。眠る王子様のシーンとかね。

過去のザ・ベクデルテストの公演での取り組みと課題

●物語を作る際に、なかったことにしていた感情やモーメントに着目する(松山公演)
●物語を作る際に無意識に排除されてきた選択肢に着目する(横浜公演)
であったと思います。松山では、家事をする、仕事をするなど「とるにたらない」とされてきた部分をとりあげる試みをしてきました。わたしたちが生活している人生の一瞬を、それこそスナップショットのように切り取る試みだったと思います。
横浜公演以降は「演劇は社会を写す鏡ではない、鏡を壊すハンマーだ」を合言葉に、実際の社会では少し難しいかもしれないこと(例えばセクハラしてきた上司を灰皿で殴り殺すとか、そもそも女性をあたりまえに上司として描くとか)を描く取り組みをしてきました。
既存の物語は、各時代のジェンダー観を前提に作られています。なので、過去のドラマを見ると「現在ではハラスメント、コンプライアンス的にNGだな」ということがよく起きます。それらをよく見知っているわたしたちが、未来の(差別のない)ジェンダー観を前提とした物語を作っていくのは少し難しく、それこそセクハラをした上司を殴り殺すようなものを作りがちでした。プリンセスが剣を抜いたり、眠る王子様が当たり前に登場する物語を作っていくための方法を、現在模索中です。
過去の公演やワークショップに関わったインプロ関係の人からは「検閲がかかる」という声が多く聞こえました。検閲とは、「これをやってはいけないんじゃないか」という頭の中の警察官のようなものです。ザ・ベクデルテストに関わるとき、プレイヤーは「これをやってもいいんだろうか、いけないんじゃないか」という気持ちが必要以上に働いてしまい、うまく動くことが出来ませんでした。
例えば、わたし自身の問題としては、横浜以降”弱いキャラクター”を演じられなくなりました。また、関わってくれたプレイヤー達には自分の中のバイアスを断罪されるかのような恐怖を与えてしまったなという反省があります。明確な解決策はまだ見つかったとはいえませんが、とにかく「そのままやってみる」「それから違う選択をしてみる」ということが出来たら、自分にとってもみんなにとっても楽だなあと思っています。
検閲に関して今わたしが考えているのは、見えない抑圧を検閲と捉えて外していくことはできないか?ということです。例えば、通常インプロワークショップでは、「差別的でないか」「セクシャルでないか」「変な奴だと思われないか」「普通(つまらない)と思われないか」などが主だった検閲で、これを外していくためのゲームがいくつかあります。ですが、アイディアを出したり振る舞いには他にも「女々しいと思われないか」や「野蛮だと思われないか」などジェンダーにまつわる検閲がオートマチックでかかっているのではないかと思っています。これを外す方法を、今は考えています。
また、フォーマットの性質上、男女二元論を強化することになってしまわないかという懸念を抱えたまま活動を続けています。実際にプレイヤーからは「男とか女とか関係ないのに女性が3人出てくるというのは逆差別なのでは」「トランスジェンダーが排除されている」という声も上がっていました。
わたしは、最終的には、もちろん「男とか女とか関係ない」のが一番いいと思っています。まだ、そのためにどのような段階を踏めばいいのか完全に道が見えているわけではありません。みんなで探る時間になればいいなと思っています。なので、これは、お願いなのですが、どうぞ気軽に参加して頂きたいです。新しい物語をつくりたい、それがわたしの目的で祈りです。

よくある質問

Q :誰でも参加出来ますか?
A :演劇経験の有無にかかわらず、どなたでも参加いただけます (会場にはエレベーターがないため、階段で2階まで上がって頂く必要があります。お手伝いが必要な方はお申し込みの際にひとこと添えて頂けると助かります)

Q :インプロって何
A :即興演劇。あらかじめ決められた設定や脚本がないなかで、舞台上でうまれたアイディアや観客から貰ったアイディアをもとにシーンを作っていく。

Q :江戸川カエルって誰?
A :1993年東京生まれ。2011年よりインプロ(即興演劇)をはじめる。2012年より「江戸川カエル」としてインプロショーに出演開始。東京学芸大学表現コミュニケーション専攻にてインプロ/演劇教育を学ぶ。2015年、サンフランシスコのBay Area Theatre Sportsにて、カルガリーLoose Moose Theatreにてワークショップ参加。2019年までに100本以上のインプロショーに出演。2017年より、仮面劇俳優として無言劇の活動をはじめる。仮面ユニット「仮面夫婦」の奥様の付き添いとしてキングオブコント2018会場におもむき、1回戦突破するのを見ていた。 身体ワーク、仮面に関するワーク、ノンバーバルワークを得意とする。 2017年以降、「ザ・ベクデルテスト」というインプロフォーマットの研究やワークショップを続けている。

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わたし自身も先日遺影を用意したのでその話を。
わたしが、わたし自身の遺影を用意しようと思った理由は2つある。ひとつめは、愛する人たちにわたしが幸福だと伝えるため。そしてふたつめは、遺影がお守りになると思ったからだ。

自分の死と、親しい人々がそれをどう受け止めるのかについて考えるとき、なぜかクジのことが思い出された。クジとはキャンプでマシュマロを焼きながら哲学の話をする程度の仲を、かれこれ12年続けている。細く長い付き合いだ。クジは笑い上戸で、飄々としていて、教養を無駄遣いしながらいつもお腹を抱えて笑っている。こう書くとふざけた人間だと思われるかもしれないが、わたしにとってのクジはそういう人間だった。細い付き合いだから直接見ることがなかっただけかもしれない。でも、クジの強い正義感も責任感も勤勉さも努力も涙も、あったであろう苦しさも、わたしの中では笑い声でしか思い出されない。そういうところを尊敬している。愛している。だから、おこがましい祈りだとわかっていても、わたしの遺影を見たクジは、笑っていないとだめなのだ。クジがお腹を抱えて笑ってくれる遺影でなくてはダメだった。クジが全力で「なんでだよ!どういうことなんだよ!」と笑いながら詰れるわたしにしようと思った。そうして、自分の死をそういう風に考えられる今が、かけがえのないほど幸福だと思った。現実感がないくらい生きるつもりでいた自分にびっくりした。クジやその他友人たちは、ひどく刹那的なわたしのことをすごく心配してくれていたように思う。自分からどんどん孤立していくわたしの手を、ギリギリ離さないでいてくれた人たちばかりだ。そんな人たちに囲まれてわたしは随分明るくなったし、幸せだ。
そしてここからが「お守り」の話。
こんな遺影を用意したからには、あがいて生きなければならないと思った。これをクジが大笑いできるのは、わたしが間際の1秒ギリギリまで色んなことを諦めなかったときだけだと思った。いつ死んでもおかしくない、いつ死んでもいいわたしは、笑ってもらえない気がした。この写真はモデルをしている美術教室で、クラノさんに撮ってもらった。クラノさんとは「マリファナが解禁するまで生き延びようね」と約束している。わたしの愉快な友人たち。愉快な友人に囲まれて、なんちゃってヴィーナスの恰好をしている愉快な遺影。いつか、近いのか遠いのかわからない未来、この遺影を囲む友人たちがあがいて生きたわたしのことを大笑いできるように、それまでわたしは生きなくては、その決意のお守りに。

2019年3月撮影 江戸川カエルが遺影にする予定の写真

先月イリノさんの遺影の依頼を受けて、恥ずかしながらはじめて「写真に写る」ということを考えた。わたしは今まで、ずっとカメラを持つ側だったため、「撮る/撮られる」ということしか考えたことがなかった。尊大だ。わたし自身の遺影を用意しようと思ったとき、はじめて、そこには祈りがあり意図的に写真に「写る」のだということに気が付いた。イリノさんにもイリノさんの祈りがあった。写真を撮ることでは、その祈りに寄り添うことしか出来ない。だけど、その作業は思ったよりずっと楽しかった。だから、これからももっとこういう写真が撮れたらいいな。ご依頼お待ちしております。