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1993年生まれ。江戸川区出身。写真家、仮面劇俳優、インプロバイザーとして活動中。人物ポートレート、人物スナップを得意とする。

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後半の、絶望とは何か、というくだりを読んでいて、当時のわたしが何に絶望していたのか思い出せなかった。8年前のわたしに言ってあげたい、あなたが今絶望していることは、8年後綺麗さっぱり忘れているよと。

新しい小さな絶望、小さな傷がどんどん出来てとても新陳代謝がよい。
つい先日絶望を感じた。すごく小さくてくだらないことだった。

体調も天気もとてもいい朝で、なんとなく掃除機がかけられそうな気分だった。ニコニコと掃除機をかける。絨毯の上も、トイレも、換気扇も。かけていたら妹が眠たそうに起きてきて、どすん、と居間に座った。それを見た父が「ユカはかわいいねえ、眠そうなユカはとってもかわいいねえ」と言った。それを背中で聞きながら、わたしは自分に言い聞かせていた。「とても天気がよかったし気分がよかったし、わたしのために掃除機をかけている」

写真:BEBERICA『What’s Heaven Like?』より

昨晩うつみ君とやり取りをしていて、急に思い出した本がある。
8年ほど前、高校の図書館で読んだ「絶望の授業」というタイトルの本だった。8年前に読んだきりの本だった。ちょうど、僕ののびしろ、について聞くうつみ君にしたり顔ですすめてしまった手前、わたしも買って読んでみた。
驚いたことに、覚えていた本の内容と殆ど一致していた。わかりやすい本なので文意の誤読がないのはわかるけれど、印象に残った部分も殆ど一緒だった。強いて言えば、なかに出てくるチェーホフやベケットのことを、今のわたしは知っていた。(つづく)

人にやさしくしたい、と思いながら過ごした1月だったのに、不用意に傷つけてしまうことばかりだった。

寝袋の中で変な夢を見た。
わたしはキャベツの中にいた。もぞもぞと身体を動かすと、キャベツの肌に頬が触れてひんやりした。隣でモンシロチョウの幼虫が光っていた。小さかった幼虫はそこらのキャベツを食べ、たちまち大きくなりわたしのスペースを侵害した。蛹になったモンシロチョウはわたしと同じくらいの大きさで、私の隣にいた。蛹は呼吸をしていた。膨らむたびに狭くて不愉快だった。ピリリ、と音がして蛹から大きなモンシロチョウが羽化する。やめてくれ、やめてくれ、と一生懸命押し戻そうとしても間に合わず、モンシロチョウの鱗粉が頬を撫でた。ザラザラとしていて気持ちが悪い。キャベツの狭間で成虫になってしまったモンシロチョウはジタバタと暴れ、羽が傷ついていくのがわかった。やたらに暴れて、やがて、動かなくなってしまった。
目が覚めてから変な気持ちだった。わたしの頭蓋骨と脳の隙間で、モンシロチョウが死んでいる気がした。台所からシャカシャカと音がした。わたしのモンシロチョウが死んだのをよそに、フミヒロはプロテインを溶いていた。「飲む?」と聞かれたけれど、鱗粉のような気がして気持ちが悪く、飲むことが出来なかった。

祖母の膝に溜まった水をどうにかしたくて、さすったり、揉んだり、ストレッチをしたり、たまに会うとそういう自己満足を繰り返している。祖母は優しいから、いつも「ありがとう楽になった」と笑ってくれる。それを聞くと、ああ、よかった、と安心して。先日妹にそのことを言ったら「馬鹿ね、ウソだよ、楽になるわけないじゃん」と言われてひどくショックを受けてしまった。フローリングが突然ショートケーキになったような不安定感だった。わかっていたはずなのに、楽に、なるわけがなかったのに。膨らんだ膝は小さくなっていないのに。わたしはどこかで、自分の骨ばった手や愛やらが、膝の水に勝てると思っていた。気の持ちようと湿布で誤魔化す地元のヤブ医者を、ボロクソにこきおろしていたわたしが!

失ったものの数を数える日が続く。その中には、壊してしまったもの、ほしくても手に入らなかったものもある。夜、窓が結露して泣いていた。北海道で窓は泣いていなかった。あの日優しくされたことを思い出す。温かい寝袋の中には羊の匂いが充満していた。

ベランダで、セミの抜け殻を踏んだ。チャリという音と足の感触で「セミの抜け殻を踏んだ」と思った。もう1月なのに、今更どうしようというんだろう。足をそっとあげると、そこには何もなかった。わたしは確かにセミの抜け殻を踏んだのに。見えていないから踏んだはずなのに、キャラメルポップコーン色のものを見た気すらした。わたしが踏んだのは間違いなくセミの抜け殻だった。
昨日はそれから、1日フワフワしてしまった。見えない抜け殻から出たセミもきっと見えないのだと思った。吐く息も白いのに、見えないセミがそこかしこで鳴いていた。

写真:BEBERICA『What’s Heaven Like?』より