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1993年生まれ。江戸川区出身。写真家、仮面劇俳優、インプロバイザーとして活動中。人物ポートレート、人物スナップを得意とする。

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自分の傷は舐めることも薬をぬることもできるのに、誰かを傷つけた記憶は消えない。普段は忘れたふりをしてはいるが一度引かれたトリガーは無傷で戻ってはくれない。あの頃のわたしは、嘘とファンタジーの区別がついておらず、口を開けば夢物語ばかりだった。

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ウォーフの屋上で、藤井フミヤの歌を歌いながら煙草を吸っていた。朝日に照らされた黄金町の路地には、煙草の吸殻と、今朝がた誰かが落としていった女の子の名刺、ビニール袋、ビールの缶、それからたぶん昨日あった悲しいこととゲロ。あのゲロを吐いた人は、今日はお休みだったんだろうか。吐くまで飲まずにいられなかったような昨日が、朝日に照らされて、溶けていく。

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一度ではない、たぶんこれで3度目くらいになる。「臓物まみれAV」という検索ワードで当サイトにたどり着いている人がいる。まったく意味が分からない。今まで一度も言ったことがない。確かにアロマ企画は好きだったけれど、そのことは割と隠して生きてきたのに。

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ひょんなことから、ジュリエットをやることになった。それで、高校生の時駅で見た「どうしてわたしが東大に?」の予備校ポスターを思い出す。どうしてわたしがジュリエットに?
そういう、いわゆるヒロインのようなものに縁がなかったし、もっといえば、脚本芝居と無縁だったわたしが、シェイクスピアをやることになるとは思ってもみなかった。
中学生ではじめてシェイクスピアを読んだとき、これが名著か、なんて愚かで浅はかな登場人物たちなんだろうと思っていた。戯曲の読み方を知らなかったわたしは、あくまで小説としてロミオとジュリエットに出会った。誰にも感情移入できないし、ホラー映画の序盤で死ぬ若者たちみたいだと思った。シェイクスピアを面白がれるようになったのは、ずっとあと、大学に入ってからだった。

シェイクスピアの題材は普遍的なもの、だとかよく言われるけれど、正直あまりピンとこない。わたしには愛を誓いあう、そのことだけですらいまだにピンとこないでいる。今回、京島長屋でロミオとジュリエットをやる。はじめて、ロミオとジュリエットを「よくある話」として捉えることが出来始めている。

もう名前も思い出せない。小学校2年生の時、なぜか仲のよかった女の子がいた。その子の家は学区で言えば反対側にあり、少し遠かった。こっそり何度か家に遊びに行ったが、お母さんとあまりうまくコミュニケーションがとれなかった。もしかした”普通”と何か違うのかな、という様子だったことを覚えている。こっそり遊びに行ったからなのか、家のことがあったからかわからない。その子と遊んでいると母がひどく怒った。わたしたちは、段々遊ばなくなってしまった。階段でうずくまるその子の顔は思い出せても、もう名前も思い出せない。

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後半の、絶望とは何か、というくだりを読んでいて、当時のわたしが何に絶望していたのか思い出せなかった。8年前のわたしに言ってあげたい、あなたが今絶望していることは、8年後綺麗さっぱり忘れているよと。

新しい小さな絶望、小さな傷がどんどん出来てとても新陳代謝がよい。
つい先日絶望を感じた。すごく小さくてくだらないことだった。

体調も天気もとてもいい朝で、なんとなく掃除機がかけられそうな気分だった。ニコニコと掃除機をかける。絨毯の上も、トイレも、換気扇も。かけていたら妹が眠たそうに起きてきて、どすん、と居間に座った。それを見た父が「ユカはかわいいねえ、眠そうなユカはとってもかわいいねえ」と言った。それを背中で聞きながら、わたしは自分に言い聞かせていた。「とても天気がよかったし気分がよかったし、わたしのために掃除機をかけている」

写真:BEBERICA『What’s Heaven Like?』より

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昨晩うつみ君とやり取りをしていて、急に思い出した本がある。
8年ほど前、高校の図書館で読んだ「絶望の授業」というタイトルの本だった。8年前に読んだきりの本だった。ちょうど、僕ののびしろ、について聞くうつみ君にしたり顔ですすめてしまった手前、わたしも買って読んでみた。
驚いたことに、覚えていた本の内容と殆ど一致していた。わかりやすい本なので文意の誤読がないのはわかるけれど、印象に残った部分も殆ど一緒だった。強いて言えば、なかに出てくるチェーホフやベケットのことを、今のわたしは知っていた。(つづく)