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1993年生まれ。江戸川区出身。人物ポートレート、人物スナップを得意とする。東京学芸大学表現コミュニケーション選考卒業。

12月13日、東京都墨田区キラキラ会館和光会館にて、The Bechdel Test 東京初演に出演しました。

(ザ・ベクデルテストの説明は、文末につけたのでわからない方は先に読むことをお勧めします)
今回はMC、サポートとして出演しました。
公演後考えたことや、稽古中に考えたことなど時系列がごちゃごちゃになっていますが、そのまま書きます。

●そこにいるのは”恋愛をしていない”人なのか
本番前のリハーサルで、わたしたちはベクデルテストをパスできなかった。厳密にいえば、まったくパスできなかったわけではないが、終盤で、1人の男をめぐる2人の女性のはなしになってしまった。
本番終演後の振り返りで、他の人のシーンで恋愛をしていると、引っ張られて恋愛してしまう、もしくは「恋愛をしていない人」でいてしまう、という話がでた。これは女性に限らず男性プレーヤーも感じた、とのことだった。
プレーヤーとしての実感では、すごく共感できる。でも、同時に不思議に思った。わたしが写真に没頭しているとき、踊りに没頭しているとき、インプロをしているとき、わたしは確かに恋愛をしていない。だけどわたしはそういう時わたしは、”恋愛をしていない人”ではなく、”写真に没頭している人”だ。だって、自分では”恋愛をしていない”なんて考えもしないから。
先日『海賊とよばれた男』(2016,日本)をみた。出光の創業者の伝記映画で、登場人物たちは石油を輸入し会社を大きくすること、日本をよくすることに燃えていた。仕事に没頭している最中、彼らはそういう自分に悩むことがない。ただひたすら、仕事のための次の一手を考えていて、彼らの葛藤は、会社の実力と理想の間にあった。そして、葛藤がそれだけであるということに、映画としては違和感がなかったようにわたしは思う。もちろん、実際の人間はたぶんもっと繊細に出来ているので、もっとくよくよしたりもしたし、妻のことを考えた時間もあったのではないか、と思った。だけど、リアルでないことと、物語として違和感がないことは別のことのように思う。仮にこれが女性主人公の物語であれば、ものすごい違和感があるのではないか。仮に女性版の仕事映画ができたとしたら、彼女は恋にも悩むだろうし、”女性として仕事を続けていくこと”にも悩むはずだ。それを抜いた映画は違和感でいっぱいになるように思う。
仕事映画の女性版を考えた時に真っ先に浮かんだのは『プラダを着た悪魔』(2006,アメリカ)だった。確かに、メリルストリープは仕事に情熱と愛をもった人物であったが、同時に映画後半で”家庭を犠牲にした人”として描かれていた。そしてそのことに葛藤をもっていた。彼女は”仕事に愛をもった人”ではなく”家庭を犠牲にして仕事に愛を向けた人”なのだ。
『海賊とよばれた男』の男たちは、たぶんメリルストリープばりに働いていたし、家に何日も帰らない描写も見られた。それはむしろ美談として描かれていたように思う。だけど、メリルストリープは”家庭を犠牲にした人”だし、アンハサウェイは”恋愛をしていない人”なのだ。
わたしたちがシーンのなかで”恋愛をしていない人”になってしまうのは、もしかしたら、既存の女性が主人公の映画や物語では、”恋愛をしていない”という見方をあまりにされがちだからかもしれない。

●子どもになる理由
ザ・ベクデルテストにおいて、わたしは子供の役を選びがちな傾向にあった。傾向にあるというか、松山での稽古も含めた全5回、子どものシーンをひとつはやっている。本番でも、みゆきの幼少期の友人として出た。今回、その理由のひとつかもしれないことに思い当たった。
東京初演ではあまりに優秀なストーリーテラーが揃った稽古のなかで「ストーリーを作ろうとしない稽古」をした。稽古の帰り道、考えたことがある。もしストーリーを作ったらどうなるか。
もちろん、これは男性主人公の物語でも言えることだけれど、人物がストーリーの奴隷になってしまう。実際の感情や機微はともかく、前に進むために葛藤を無視したり、実際の人生でもよくあるような日常の一場面を作らなくなる。
そういったことの他に、こと、ザ・ベクデルテストにおいては、ストーリを作ろうとするとベクデルテストをパスし辛くなる、ということがあるのかもしれない、と思った。女性主体の物語で、ミュージカルやオペラに見られるボーイミーツガール以外のものだと、パッと思いつくのは『秘密の花園』(1911,アメリカ)などのビルドゥングスロマンだった。日本で言えば『西の魔女が死んだ』(1994,日本)など。
「名前のついた女性ふたりで会話をし」「かつ男のはなしではない」シーンとして、これらの小説の印象がわたしのなかでとても大きかったことに気が付いた。もしかしたら、わたしがすぐに子どもとして入ってしまうのは、ベクデルテストをパスする方法として、これが一番有効だと思っていたからかもしれない。
逆に言えば、そうしなければパスできないと、どこかで思っている部分もあるのかもしれない。大人のわたしは、今でも、女友達と夢の話をしているのに。次回以降このことにチャレンジしたいと思った。

●想像すること
今回は稽古で、モノローグで名前をつけたあと、一度、その女性がどこで笑っているか、どこでステータスが高いか、どこで虐げられるのか、など、その人のことを想像する時間を作った。これが楽しくもとても難しいと感じた。わたしには想像できなかった。神棚をもつ女性がどこでどんな風に笑うのか、何を幸せと感じるのか。なんとなく一度、カルトで根暗なイメージを持ってしまった人に対して、そういう想像をするのはすごく難しかった。
今回の公演をおえて、わたしたちはインタビューの必要性を感じた。もっと沢山、聞いてみたいと思った。あなたがどこで笑うのか、泣くのか。そういうことを考えること自体に、まだあまり慣れていなかったし、考えるための引き出しが少なすぎるように思えた。どんな女性にも、ほんとうはもっとあるはずだ。”恋愛をしていない人”でも”母親として”でもない瞬間が。そういう瞬間をもっと、もっと知りたいし、光を当てていきたい。

【ザ・ベクデルテストとは】
映画のジェンダーバイアスを考えるのに「ベクデルテスト」というものがある。

①名前がついている女性が2人以上登場するか?
②その女性同士が会話をするシーンがあるか?
③その会話の内容は、男についての話以外であるか?

アリソン・ベクデルの漫画に出てきたキャラクターが「これをパスする映画しか見ない!」と話している場面から「ベクデルテスト」と名付けられた。たった三つの簡単な条件だが、このテストをパスする映画は多くはない。インプロの舞台でも同様に、このテストをパスできる公演は多くはない。インプロでは、実社会よりもステレオタイプなキャラクターづくりに陥りやすいという性質上、「医者」や「先生」と聞こえれば袖で男性がスタンバイをする。そこで女性が出てくると、生徒や患者と恋に落ちるシーンになる。男性との間で上司役になったりすると、聞こえないふりされたり、陥れられたり、殺されたりする。

ザ・ベクデルテストとは、ベクデルテストをパスするインプロを作るべく、BATSのリサ・ローランドが生み出した新しいインプロフォーマットのことだ。このフォーマットでは、3人の女性主人公が出てくる。その3人の人生のスナップショットを追っていくことができる。終演後にはアフタートークがあり、観客とプレイヤーが感じたことや思ったことを話す時間が設けられる。
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